「救われたい」から「救いたい」へ
本作で目立つ、汚れの数々。すえた臭いのしそうな路地裏、猥雑な風俗街、路上に転がるゴミ、寂れた廃墟、アパートのシミ、古ぼけた雑居ビル……『君の名は。』の美しいシーンに魅了された人々は、違和感を覚えるかもしれない。さらに、ラブホテルや拳銃など「不健全」な描写が続き、主人公の帆高に至っては何度も犯罪行為を犯す。『君の名は。』でも権力に対する反逆行為が描かれたものの、ここまで露骨ではなかった。この「変化」に、明確な意図を感じずにはいられない。
新海監督は、これまでにも数段階カラーを変化させてきた。大きいものは、『君の名は。』にも影響を及ぼした東日本大震災の前後だ。作品としては和歌が重要な意味を持つ『言の葉の庭』がターニングポイントとなり、以降は日本の伝統美に対する意識が強まってきた。『君の名は。』では和歌に加えて巫女が登場し、『天気の子』の陽菜へと受け継がれていく(ちなみにこの3作品は世界観的にも繋がっている)。日常が粉々に破壊された経験を越えて、今いる場所・日本を大切にしたいという「慈しみ」が芽生えてきたように感じられる。本作でも「天気は天の気」という台詞や神社、鳥居、お盆、彼岸と此岸といった日本古来の要素が多く盛り込まれ、『君の名は。』と同じく「天災」がキーワードになっている。
『天気の子』(C)2019「天気の子」製作委員会
東宝と初めて組んだ『君の名は。』では『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(13)のキャラクターデザインを務めた田中将賀や人気バンドのRADWIMPSとコラボレーションし、作品がよりマスに向けたものへと変貌した。マイナーからメジャーへと転換していく中で、監督自身も作風を「主観」から「俯瞰」にスライドさせていったように思える。これまでにあった「描くことで救われたい」という自己肯定の想いは薄まり、「描くことで救いたい」という他己肯定への使命感が成長してきた。インタビュー等では、震災を経た心境の変化も大きいと語っている。キャラクターをより客観視し始めたともいえるだろう。
そして、本作。新海監督が選んだ道は、「自分らしくあること」だった。前述した「汚れ」や「不健全」さは、願いや祈りといった感情から作られた過去の作品ではなかなか描けなかった部分。与える側へと到達した新海監督は、より強く「救う」というメッセージを押し出し、性や犯罪の近くに置かれたキャラクターを登場させることで「声なき人々」を抱きしめる。
『天気の子』(C)2019「天気の子」製作委員会
本作のキャラクターは、皆何かを失い、困難のただなかにいる。自分の居場所が見つけられず東京に身一つでやってきた少年、母を亡くした姉弟、一人娘と会えないライター、就職活動がうまくいかない女性……過去作品のキャラクターにはない「逆境」が彼らを縛り、頭上からは雨が降り注ぐ。華やかな都会の片隅で息をひそめて生きる姿は、『万引き家族』(18)を彷彿とさせる。暖かな絆と裏腹に、周囲を取り巻く世界は、彼らを否定するものばかりだ。
この「世界」の描かれ方がポイント。本作では、大衆が「悪」として提示される。ネット上の人々は辛辣で、現実世界でも主人公やヒロインを遠巻きに冷笑するだけで手を差し伸べてはくれない。暴言を浴びせ、目の前のことにすぐ愚痴を漏らし、「100%の晴れ女」である陽菜を消費しつくそうとする。根本的に、世界が「善」で出来ていた『君の名は。』とは真逆だ。劇中の台詞ではないが「元々狂っている」世界の中で、どう生きるか。予告編にも登場する「世界の形を、永遠に変えてしまった」という台詞の理由は、彼らが向けられた悪意と密接に結びついている。