トニー・スコットが貫き通したヘリ撮影シーン
考え方の違いを乗り越え、密にコミュニケーションを築きながら本作を切り開いていったのはトニー・スコット監督も同じだ。とりわけ彼にとってレッドフォードは尊敬する監督でもあったため、最初は「監督を監督すること」にとても緊張したという。
両者の監督としての采配の振るい方はまるで違う。レッドフォードは一対一のシンプルな化学変化を好む人。一方、トニー・スコットはあらゆることを試したり、いろんなものを一緒くたに投入して「そこで何が起こるのか」をじっくり検証する。そんな自分のやり方を理解してもらえるのかどうか、スコットは正直心配だった。が、しかしレッドフフォードはしっかりとその違いを見極め、監督の狙いに応えようと努力してくれたという。
だが、一つだけレッドフォードが疑問を呈した場面があった。それは中盤に登場する屋上シーン。心から信頼を寄せていたベテラン諜報員(レッドフォード)に裏切られる形となった新人ビショップが「なぜあのようなことをしたのか?」と問いただすシーンだ。
『スパイ・ゲーム』(c)Photofest / Getty Images
このシーンでトニーが持ち出そうとしたのが「ヘリ撮影」だった。屋上で一対一の会話を交わす二人の姿をヘリが360度旋回しながら活写する。これはトニー・スコット作品を愛する人にはおなじみの、今となってはまさに「お家芸」とも呼ぶべき手法だ。
レッドフォードはこのような重要な場面でヘリを飛ばすことに納得がいかなかった。これではちっとも演技に集中できないし、そもそもヘリを飛ばす必然性があるのかわからない。撮影中も「これ以上ヘリが近づいたら、俺は帰るぞ」と冗談交じりに口にするほどだったとか。
この時の意見の相違は、未だに伝説として語り継がれている。ただ、トニー・スコットには確かな勝算があった。彼はただ絵面的なかっこよさを狙って空撮するようなことは決してしない。このグルグルと常軌を失ったような旋回は、今まさに裏切られて足元がぐらつくビショップの「不安と怒りと戸惑い」をストレートに表現したもの。そこには心象表現としての理由付けがきちんとあったのだ。
しかもヘリ撮影によってこういった心象表現が可能なのかどうか、トニーは『スパイ・ゲーム』直前に撮影したテレコム・イタリアのCMにて一つの実験を行っていた。マーロン・ブランドを山頂に立たせて、その姿をヘリで活写することで、この手法の効果を試していたのだ。表現される心象模様は全く異なるものではあるものの、このCM映像は『スパイ・ゲーム』でのヘリ撮影の、まさにプロトタイプというべきもの。この時の強い手応えもあり、トニーは「いける!」と判断したのである。
結果、当初は納得していなかったレッドフォードも、いざ完成した映像を見て「なるほど、これがやりたかったのか!」と得心した。こうして名優を前に自分なりのやり方を堂々と貫けたことによって、スコット監督もまた大きな自信を得ることができたという。ほんのわずかなシーンではあるものの、このヘリ撮影には大きな意味が込められていたわけだ。
トニー・スコットがこの世からいなくなって7年。彼の新作が劇場にかかることはもう2度とないが、我々は珠玉の名作から多くの意匠を、まだまだ汲み取ることができる。そして彼が作品内に封じ込めたダイナミックな魂の躍動は、今なお微塵も古びることなく、観る者に大きな感銘を与え続ける。その感動の連鎖が続く限り、彼が過去の人となることはない。
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
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