ジョシーの四段階変化!
本作において、主人公ジョジーは外見的に四段階の変化を遂げる。“第一形態”は、回想シーンで登場する「ジョジー・グロウシー(怪物ジョジー)」と呼ばれていた高校生時代。ドリューはボディスーツと特殊メイクで肥満状態のティーンエイジャーに変身し、凡百のロマコメでは絶対にありえないくらい主人公の美醜レベルを下げた。見た目の話だけではない。ジョジーはコミュニケーション能力を著しく欠いた“イタい娘”として演じられた。外見、内面ともに、まったく容赦のない暗黒描写を貫いた作り手の覚悟と決意は、“痛快”を超えて“戦慄”すら感じる。
ちなみに、期せずして同年に公開された学園ロマコメ『シーズ・オール・ザット』は、レイチェル・リー・クック扮する主人公が「メガネを外したら実は美少女だった!」という超ベタな王道パターン。クックの可愛らしさが堪能できる佳作ではあるものの、1999年時点でさえ「さすがにセンスが古すぎやしませんか?」と思ったものだ。
『25年目のキス』(c)Photofest / Getty Images
一方『25年目のキス』は「美しい」をゴールとするシンデレラストーリーに囚われてはいなかった。25歳になったジョジーの“第二形態”は、肥満というコンプレックスを克服して小ざっぱりとしたOLにはなったが、「サナギが蝶になった」ようには描写されてはいない。“第二形態”のジョジーは、平均的な体重と見かけを手に入れて周囲から目立たなくなったに過ぎない。
そして“第三形態”は、弟ロブの計略が功を奏して(このくだりが本当にくだらなくて素晴らしい!)、期せずしてイケイケ(という言葉も相当に古いが)女子の仲間入りを果たした“高校デビュー”バージョン。リッチなセレブ女子高生たちの薫陶を受けてジョジーの恰好もアカ抜けたオシャレなものになっていく。
しかし第三形態のジョジーは一種のハイテンション状態で、内面的な本質と齟齬が生じてしまう。そこで今度は、本当の自分自身”に立ち返るために“第四形態”に進むことが必然となる。「果たしてどんな姿が本当のジョジーなのでしょうか?」と煽るほど意外な結末ではないが、ここでは一応伏せておこう。
ただ、ジョジーの外面的なアップグレードが「そこそこ」レベルで止まっていることは、この作品の節度であり、テーマの根幹にも関わっている。ジョジーというヒロイン像は「ロマコメは美男美女のもの」という固定概念を覆した。「美醜のハードル」を下げてもなお“ロマコメ的なカタルシス”は成立すると証明し、ジャンルの本質的な魅力を再検証してみせた。近年も『ロマンティックじゃない?』(19)などロマコメの王道を敢えて批評的に扱う作品は作られ続けているが、『25年目のキス』はその先駆けとなった一本だったのだ。