2019.08.10
ある失われた家族の物語
小説は、すでに老人となった主人公マクリーンが、自分の家族の思い出を静かに振り返る物語になっている。そんな小説の設定を生かして、映画版でも冒頭と最後に老人となったマクリーンが川で釣りをする姿が映し出される。つまり、ここで描かれるのは、ひとりの老人の追想である。
レッドフォードがほれ込んだという原作の冒頭と最後はこんな文章になっている。
「私たちの家族では、宗教とフライ・フィッシングのあいだに、はっきりした境界線はなかった(In our family ,there was no clear line between religion and fly fishing.)」(「 マクリーンの川」集英社刊、渡辺利雄訳)また、最後のしめくくりは――「いまもなお、わたしはこの水の世界にとり憑かれている(I am haunted by waters)」(同著より)
映画でナレーションを担当しているのは、レッドフォード自身。原作から多くの言葉が使われるが、シンプルながらも、リズムのある美しい文章で、思わず朗読したくなるのも分かる気がする(宗教がからんだ釣りの表現が多く、翻訳は至難の業に思える)。
小説はマクリーンの自伝的な内容だが、レッドフォードはここで描かれる物語の中に、かつての自分の育てられ方と重なるものを感じて、映画化を決意したという(間接的にレッドフォードが自身の人生を振り返った物語ともいえるだろう)。
タイトルとなった、リバー・ランズ・スルー・イット、という言葉は、原作でも、映画でも、エンディングに登場する。故郷の川で釣りをする老人は、愛する人々の死も何度か経験し、川の流れの中に自然界の魂のようなものを見出す。
「最後には、すべての存在が溶解、融合して、たったひとつの究極の存在となり、一筋の川がそのたった一つの存在を貫いて流れていくのを意識する(Eventually,all things merge into one,and a river runs through it )」(前述の翻訳本より)
そんな川の流れを達観した大人の視点を貫くことで、描かれる物語に哲学的な深みが生まれている。
『リバー・ランズ・スルー・イット』(c)Photofest / Getty Images
映画ではトム・スケリット扮する父親が長老教会派の牧師で、ふたりの息子、兄ノーマン(クレイグ・シェイファー)と弟ポール(ブラッド・ピット)に人生の真実と釣りの楽しさを教え込む。成長後、兄は東部の大学に進んで、やがては文学の教授となるが、弟は地元の大学に進み、新聞記者となる。ケンカ好きの弟はフライ・フィッシングでは天才的な才能を発揮するが、実生活ではだんだんと危険な世界に足を踏み入れ、悲劇的な最後を迎える。
悲劇が起こった後も、物語が淡々と描写されていき、そこがこの映画の魅力でもある。老人の追想だからこそ、ちょっと引いた視点で描けたのだろう。
そして、永遠に輝ける存在として兄の脳裏に焼きついているのが、ブラッド・ピット演じる弟ポールの姿である。ポールは一瞬の人生をかけぬけるからこそ、その存在がより輝いて見えるのだろう。兄は弟を愛していたが、結局は救うことができなかった。そして、時は流れていく。
「若かったころにわたしが愛し、理解しようとしてできなかった人びとは、ほとんどすべて幽明境を異にしている。しかし、いまなお、わたしはそうした人々のことを思い浮かべ、理解しようとしている(Now nearly all those I loved and did not understand when I was young are dead ,but I still reach out to them)」(日本版の翻訳より)
この作品で描かれるおとなしい兄と破天荒な弟という設定は、ジェームス・ディーンの『 エデンの東』(55)などにも引用されている“ケインとアベルもの”を思わせる。また、父と息子の絆というテーマは監督のレッドフォードがこわだってきた部分でもあり、劇中ではワーズワースの詩を通じて長男と父が気持ちを通わせる。『普通の人々』ではドナルド・サザーランドとティモシー・ハットン、『 クイズ・ショウ』(94)のレイフ・ファインズとポール・スコフィールドの葛藤が描かれていた。
この作品ではベテラン俳優のトム・スケリット(『 M★A★S★H』(70)、『 トップガン』(86))が兄弟を見守る父親役で渋い演技を披露。兄役のクレイグ・シェイファーはこの映画がキャリアにおける代表作となっている。兄の少年時代を演じるのは『 (500)日のサマー』(09)以後、演技派として活躍しているジョセフ・ゴードン=レヴィット。兄の婚約者ジェシー役のエミリー・ロイド(『あなたがいたら 少女リンダ』(87))、兄弟の母役のブレンダ・ブレッシン(『 秘密と嘘』(96))など脇役陣にも監督のセンスが光る。