2019.08.10
改めて評価された映画版の影響力の大きさ
原作が出た時、売れる小説になるとはまったく考えられていなかったが、映画版も同様で、最初は出資者がなかなか見つからず、ヒットも(ほぼ)期待されていなかった。ところが、公開後は話題を呼び、釣り業界にも大きな影響を及ぼした。この映画の成功でアメリカのフライ・フィッシング業界の売り上げが伸び、封切りの92年に前年比60%のアップ、93年にはさらに60%アップとなり、釣り人口の増加に貢献した。
また、舞台となったモンタナのビッグ・ブラックフット川も観光名所となり、観光産業にも映画の影響が及んだ(もっとも物語の舞台はミズーラだが、映画は同じモンタナのリヴィングストンやボーズマン等でロケが行われ、ビッグ・ブラックフット川の代わりにガラティン川で撮影されている)。また、映画の成功がひとつのきっかけとなって、それまで汚染されていたビッグ・ブラッグフット川がきれいになったという。
2017年に『リバー・ランズ・スルー・イット』の製作25周年を迎えた時はモンタナで「ノーマン・マクリーンの足跡をたどって」という3日間に渡るフェスティバルが行われ、映画も上映された。
父親役を演じたトム・スケリット、製作者のパトリック・マーキー、脚本家のリチャード・フリーデンバーグ、原作者の娘で、父の亡き後、映画版のコンサルタントも務めたジーン・マクリーン・スナイダーらが登壇してトーク・イベントも行われ、ジーンは「父が大切にしていた物語がこうして映画になったことに感謝しています」というコメントを送ったという。
『リバー・ランズ・スルー・イット』(c)Photofest / Getty Images
この年、原作本も復刊され、そこにはレッドフォードの序文も加えられた――「この原作の映画化は私には大きな挑戦だった。私と作者はお互いに視線を交わし、この映画にもふたりの調和が反映されている」
一方、原作者のマクリーンはこんな謝辞を書いている。「私の背中を押してくれ、この本を書くきっかけとなったのは、娘のジーンと息子のジョンである。彼らが若かった時に話していたいくつかの物語を私に書き残すことを望んでいたからだ」
彼の弟、ポール・マクリーンが謎めいた最後を迎えたのは39年5月で、ノーマンは以後、彼の話を封印してきたという(犯人も不明のまま)。
それから40年近い歳月が流れ、ノーマンは自身の家族の物語を執筆。記憶の中の弟とも対面した。その結果、生み出された小説はアメリカの偉大な文学作品(ピューリッツアー賞候補となる)として認められ、才能ある監督が思いを込めて映画化に踏み切ることで、珠玉のドラマとしてスクリーンに刻みこまれた。
復刻された原作本には現代の写真家、スティーヴ・ボーモントが2013年に発表したビッグ・ブラックフット川の写真が使われ、壮大で謎めいた川の魅力が伝わる。原作と映画の最後に登場する「私は水の世界にとり憑かれている」という言葉が改めて説得力を持って迫ってくる。
文: 大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
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