傑作が誕生する背景には、息子の死と、家族の支えがあった
イニャリトゥは20代の頃、メキシコのラジオ局でロック番組のディレクターやDJを務め、さらに30代ではTV番組や音楽イベントのプロデュースなどの大仕事を次々と手がけ、多くのスタッフを動かすことに関しては人一倍のキャリアを積んできた。かくも彼の人生は“音楽”につき動かれることが多く、とりわけ、ジェネシス、ピーター・ガブリエル、ツェッペリン、ピンクフロイド、デヴィッド・ボウイ、ストーンズ、ザ・フーといった「音楽で物語を伝えようとする」アーティストたちから受けた影響は大きかったという。
そんな彼がなぜ本作で長編映画へ進出しようとしたのだろう。一つのきっかけとして推測されるのが我が子の死である。彼とその家族たちは90年代半ばに、生まれたばかりの男の子を失うという耐えがたい悲劇を経験した。(*1)
本作のコメンタリーでイニャリトゥは「この映画は亡き息子と、妻と、子供達に捧げたい。どんな時も私を支え、見守り、映画を作るために必要な力を与えてくれた彼らに感謝を捧げる」と述べており、クライマックス、映画の暗転する瞬間には「ルチアーノへ。我らもまた失われし者ゆえ」という言葉が意味深く添えられる。
『アモーレス・ペロス』(c)Photofest / Getty Images
息子の死に関してイニャリトゥは公には多くのことを語っていない。だがその分だけ、当時の言い知れぬ痛みや悲しみは、映画の中の登場人物たちの中で共有されているとみていいだろう。また、それらを決して「我が子の死」にのみとどまらせるのではなく、「喪失」という普遍的な枠組みで捉えて、広く観客と共有しようとしているかのようだ。その証拠に彼はこう語っている。
「人生は失うことの連続だ。純真さを失い、子供時代を失い、青春や仕事、頭髪さえ失われていく。そしていつの日か、友人、両親、己の命にも天に召す瞬間が訪れる。人間という存在はそうやって“失ったもの”によって形成されるものなのだ」
*1)参照
https://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-mn-ca-birdman-inarritu-20141012-story.html#page=2