ラストシーンに刻まれ、その後の作品にも受け継がれしもの
ラストシーンの撮影に向かう直前、イニャリトゥは主演のエミリオ・エチェバリアと二人きりで一時間ほど話をした。この時、自ずと亡き息子ルチアーノの話もしたという。そして後日、ここのシーンを本編に入れるかどうかスタッフ同士の最終判断で議論になった時、彼は「一人の父親として、私はどうしても入れたい」と主張したそうだ。
この独白シーンで主人公は自分が抱え続けてきた苦しみを初めて口にし、娘への変わらぬ愛情をしっかりと伝えることで、いつの日か再会できるかもしれない希望を繋げようとする。そのことに併せて、イニャリトゥはまるで自分のことでもあるかのように力強く、こうも語っている。
「(主人公のような)目的を見失った人間には、心の穴を埋める何かが必要なんだ」
それは主人公の内面を言い表す言葉であるとともに、この『アモーレス・ペロス』という映画そのものがイニャリトゥにとって“心の穴を埋める何か”であったことの証ではないだろうか。
『21グラム』予告
本作が国際的な反響を得たのち、彼は『21グラム』(03)、『バベル』(06)を発表。脚本家ギレルモ・アリアガと共に構築したこれらの物語は、いずれも複数の登場人物やエピソードが交互に展開し、“喪失”が一つのテーマとして浮かび上がるものだった。また『BIUTIFULビューティフル』(10)ではガラリと趣向を変えながらも、ハビエル・バルデムが“死者の見える男”を演じるなど、これまで以上に“死”を物語が印象を残した。
『レヴェナント』予告
そのテーマは『バードマン』で一瞬和らいだように思えたが、続く『レヴェナント』は息子を失った父親が強靭な生命力で生き残り、死にもの狂いで運命に挑戦しようとする姿が刻印された作品だった。かくも彼の中では同様のテーマが寄せては返す波のように繰り返されている。と同時に、それらは何度も繰り返すうち、少しずつ変容を遂げており、最近のイニャリトゥ作品は “再生”の部分がより深さを増しているようにも思えるのだ。