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『サムライ』フレンチ・フィルム・ノワールの傑作が描く孤高の生き様

『サムライ』フレンチ・フィルム・ノワールの傑作が描く孤高の生き様

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確立される様式美



 果たしてアラン・ドロン演じる殺し屋が「サムライ」の名にふさわしき男であったのかどうかは僕にはよく分からない。ある人は、他者を寄せ付けぬ一匹狼としての生き様にタイトル通りの日本の侍を重ね合わせるだろう。またある人は、死に場所を探すかのような結末に、やはり「侍を見た」というかもしれない。


 だが、そもそも本作では、冒頭に掲げられた一節を置いて他に「サムライとはなんぞや?」の定義が語られるわけではないし、ましてや主人公が武士道に傾倒する様子が描き出されるわけでもない。


 セリフは最小限。殺し屋の素性や、彼がいったい何者で、心の中で何を考え、何を成し遂げようとしているのか、そんな基本情報すら与えぬままだ。僕らはただひたすら想像力を駆使しながら、この「削ぎ落とされた世界」の細部を埋めていかねばならない。


 それにもかかわらず、この作品は観る者を心底魅了する。いやむしろ、いろんな要素が削ぎ落とされているからこそ、僕らをつかんで離さないのかもしれない。なにしろ本作は、カラーの時代にあえてモノトーンに近い色彩と陰影で室内や衣装を彩り、さらにトーキーの時代にあえてサイレント映画さながらの静寂を表現し、なおかつ言葉を超えた一連の「様式」や「動き」によって主人公の置かれた状況や内面を端的に伝えようとするのである。




 アラン・ドロンは『太陽がいっぱい』のような肉体美をあらわにするわけではなく、その身体は帽子とコートで厚く覆われている。顔には一切の喜怒哀楽がなく、無表情でただ淡々と仕事に真向かうのみ。彼が鏡を見つめ帽子の角度を入念に確かめる作法、鍵の束の中から盗難車に適した一つを探りあてる冷静沈着なルーティンワーク、殺しの場面で手にはめる白い手袋、静寂な室内に浮かび上がるタバコの煙。これらの描写を繰り返すことで一つの様式美が確立されていく。


 その上、何らエクスキューズなしに拳銃は火を放ち、相手との命の駆け引きが巻き起こる。最初に行動があり、観客は後付けでその意味をじわじわと咀嚼していく、というべきか。市内に張り巡らされた警察の捜査網も、捜査員の発信機の点灯が一つ、また一つ消えるだけで、作戦失敗に終わったことの証となる。かくも字幕を介さずに内容が伝わってくる点に静かな興奮を覚えずにいられないのである。


 すなわち『サムライ』というタイトルは、主人公の孤高の生き様や命のやり取りを表すのと同時に、これら研ぎ澄まされた表現性すべてを象徴する概念、観念、美学ですらあるかのようだ。絶えず響き続ける小鳥のさえずりにしても、流水とししおどしの関係性のように、かえって静寂を際立たせる要素として沁み入ってくる。



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