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 『マイ・ビューティフル・ランドレット』80年代のロンドンに映っていた、来るべき現代世界の諸問題

『マイ・ビューティフル・ランドレット』80年代のロンドンに映っていた、来るべき現代世界の諸問題

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ダニエル・デイ=ルイスの原石の輝き



 80年代は舞台やテレビで活動していた新人のダニエル・デイ=ルイスは、当時、ステレオタイプの中産階級的な役柄しか来ないことに不満を抱いていたという。そして、エージェントを通じて、『マイ・ビューティフル・ランドレット』の脚本を読み、ジョニー役にすっかりほれ込んだ。「絶対に演じたいと思った、初めての役柄だった」と彼は語っている。それまで見せることができなかった人間の深い部分を演じきれる初めての役柄と考えたようだ。


 当時、この役の候補として上がっていたのは、フリアーズが『殺し屋たちの挽歌』(84)で起用していたティム・ロスや次の『プリック・アップ』で起用するゲイリー・オールドマンだった。3人ともロンドンの舞台出身の有能な新人男優とみなされていた。ワーキング・クラスの雰囲気を自然に表現できるロスやオールドマンと比較すると、桂冠詩人の息子として裕福に育ったデイ=ルイスは不利な立場にいた。そこでフリアーズに「この役がこなかったら危ないダチたちがお礼参りにいくぜ!」という内容の脅迫状を監督に送ったという。


 また、監督に会った時は舞台となるサウスロンドンのパンク青年のようにワーキング・クラスの下町訛りで話した。「桂冠詩人の息子がどうしてそんな話し方を?」と監督に不思議がられたそうだが、こうしたアピールが認められ、最終的にはジョニー役に起用された。


『眺めのいい部屋』予告


 この映画の直後に出演したのが、『眺めのいい部屋』(85)の本の世界に生きる貴族役だ。その上品な外見といい、アクセントといい、ジョニーとはまるで正反対の役。ニューヨークではこの2本が同日に封切られ、その驚きもあってデイ=ルイスの株が急上昇。以後、彼はカメレオン俳優と呼ばれることになった。2本での好演が認められて、その年のニューヨーク批評家協会賞の助演男優賞も獲得している。


 彼は、とにかく、徹底的に役になりきる。そんな彼をめぐる奇妙なエピソードは数限りない。『ラスト・オブ・モヒカン』(92)でモヒカン族の青年を演じた時は主人公と同じように森の中で狩りをし、自分が使う火縄銃を寝る時も抱きかかえていたという。『エイジ・オブ・イノセンス』(93)では役柄と同じように昔の貴族の服装に身を包み、ニューヨークの街を歩き回った。『リンカーン』ではカメラがまわっていない時も、「ミスター・プレジデント!」と自分を呼ばせていた。『ファントム・スレッド』でデザイナーに扮した時は、自分でドレスが作れるほど裁縫の技術を習得したそうだ。


 そして、『マイ・ビューティフル・ランドレット』では、撮影前からすっかり下町のジョニーになりきり(?)、監督に脅迫状まで送って役になりきったというわけだ。


 髪を少しだけ金髪に染めたパンク青年でありながら、“下町のプリンス”と呼びたい優雅さも漂うジョニー。かつてはチンピラとして荒っぽいこともやっていたはずだが、今は愛する幼なじみのために仲間にぶちのめされても黙って耐える。強さと優しさを合わせ持つ役をカリスマ的な存在感で見せる(立ち姿がとにかく美しい!)。




 相手役オマールはインド系の新人男優、ゴードン・ワーネックで、その後、ハニフ・クレイシが監督した『ロンドン・キルズ・ミー』(91)などに出演。オマールの叔父役はテレビで活躍していたサイード・ジェフリーで、この役で英国アカデミー賞の助演賞候補になっている。父親役は『ガンジー』(82)などに出演していたローシャン・セス。


 また、叔父の華やかな愛人役を演じるのはかつてカレル・ライス監督の『土曜の夜と日曜の朝』(60)に出演していたシャーリー・アン・フィールド。新人時代のフリアーズはカレル・ライスやリンゼイ・アンダーソンなど“怒れる若者たち”と呼ばれた60年代の伝説的な監督たちとも仕事をしているので、そのオマージュとしてシャーリーを起用したのだろう。



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