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『ぼくのエリ 200歳の少女』愛と血は同じ色――静謐と残酷がせめぎ合う幻想恋愛譚 ※注!ネタバレ含みます。

『ぼくのエリ 200歳の少女』愛と血は同じ色――静謐と残酷がせめぎ合う幻想恋愛譚 ※注!ネタバレ含みます。

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全てが集約された冒頭シーン、伏線に満ちた出会いのシーン



 『ぼくのエリ 200歳の少女』の舞台は、80年代のスウェーデン、ストックホルム郊外。主人公は、物静かな12歳の少年オスカー(カーレ・ヘーデブラント)だ。学校で陰湿ないじめを受けている彼は、ポケットにナイフを忍ばせ、妄想の中でいじめっ子たちに復讐することで毎日を耐え忍んでいた。


 彼はあるとき、マンションの隣室に越してきたミステリアスな少女エリ(リーナ・レアンデション)と出会う。真冬だというのに軽装で、浮世離れした彼女を不思議に思いながらも、オスカーは初めて出来た理解者に心を許し、2人の距離は近づいていく。そのころ、街では不可解な猟奇殺人事件が続いていた……。


 本作は、闇の中に降る雪をとらえたカットから始まる。その後、上半身裸でマンションの一室から外を眺めるオスカーの姿が映るが、本人と窓に映る虚像がダブっており、彼の二面性を象徴するかのよう。さらに、手に持っているナイフを突き出し、「ブタめ。鳴いてみろ」と言うショッキングなセリフが続き、早くも穏やかならざる物語を予感させる。


 情緒豊かな映像と美少年が醸し出す荘厳な雰囲気と、『タクシードライバー』(76)を彷彿とさせる「怒り」「暴力性」が詰まった言動の差が際立つシーンだ。


 窓の外を見ていたオスカーは、1台の車に目を留める。ちょうどエリと父親が引っ越してきたところだ。2人の姿を見つめたあと、オスカーは窓から背を向け、空に向かってナイフを向け、前述したセリフを吐き捨てる。この「後ろを向く」描写は、エリたちに敵意が及ばぬように、配慮したものに感じられる。一見すれば特に気にならない動作だが、物語が進むにつれて重要な役割を果たすシーンとなる。


 ちなみに、本作では冒頭シーンが終盤でも繰り返される構造になっており、冒頭は「孤独」、終盤は「喪失」と全く違う意味合いを持つ、実に粋な演出がなされている。また、ここで描かれる「窓に手を当てる」行為は劇中で幾度も登場し、現実と理想、平和と危険、人と異形を分けるものとして機能している(この部分に関しては後述する)。




 このように、わずか2分にも満たない冒頭のシーンには、本作のテーマが全て集約されている。同じように、オスカーとエリが初めて対面するシーンも強く印象を残す。学校でいじめられて帰宅し、マンションの中庭に立つ木にナイフを突き立て、怒りを発散するオスカー。気配を感じて振り返ると、ジャングルジムのてっぺんにエリが立っている。明らかに軽装で、まるで最初からそこにいたような顔で。


 そして彼女は、「悪いけど君と友だちにはなれない」「君が友だちになりたそうな顔をしていた」と不可解な言葉を残して去っていく。この一種異様なファースト・コンタクトは、エリが人ならざるものであることを象徴している。同時に、このシーンもオスカーとエリの関係が進展するにつれて、また別の意味合いを帯び始める。さらに、この「君」という呼称、ボーイッシュな服装、「友だち」という表現は、後々の伏線として機能していく。


 『ぼくのエリ 200歳の少女』は意外にも直接的な暴力描写や残酷シーンも多く、硫酸で顔が溶ける、首の骨を折る、人体発火、猫とのバトル、首や手がちぎれるなどなかなか刺激の強いザ・ホラーな展開のオンパレードだ。しかし、それらと逆行するようにオスカーとエリのシーンは耽美かつ静謐で、テンポも抑えられている。


 感度のデシベルを上げなければ見落としてしまうレベルの幽かなヒントが、奥ゆかしく提示されており、2人以外の世界が過激になればなるほど、逆説的に少年少女の純粋さが光り輝くような構造に設計されている。



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