作りづらくなったコメディ
Q:ホアキンのダンスも素晴らしいです。彼と、あなたが連れてきたコリオグラファーが一緒に創ったそうですね。
フィリップス:そうなんだ。マイケル・アーノルドという人なんだけどね。僕たちは少しチャップリンにインスパイアされていた。チャップリンのサイレント映画を観ていると、彼の心のなかに音楽が流れていることが伝わってくる。僕はその要素をアーサーに使いたくてホアキンといろいろ話をしたんだ。それがアーサーが初めて踊るシーン、公衆トイレでのダンスに表れている。たとえ社会からのけ者にされ、世界と調和していなくても、彼の心には常に音楽が流れていて、それが溢れ出す瞬間を待っている。あのトイレのシーンがまさにそれなんだ。
ダンスについては本当にたくさん話し合った。たくさんの音楽を聴いたしね。ジョーカーの映画だってことがウソみたいに、ダンスは重要だったんだ。
Q:チャップリンと言えば劇中、彼の『モダン・タイムス』(36)を、トーマス・ウェインたちゴッサムシティの富裕層が正装して観ているシーンがありますが、あなた流のブラックジョークなんですか?
フィリップス:いや、あれはチャリティという設定で、ブラックジョークのつもりじゃなかった(笑)。
多様性が叫ばれているこの時代、コメディは作りづらいんだよ。こちらがジョークのつもりでも、そうは取られない場合が結構あるし、その反対も多い。今回、僕が好きなジョークのひとつに、アーサーの家を訪れたふたりの仕事仲間のエピソードがある。アーサーが裏切り者のひとりを殺し、怯えたもうひとりが外に出ようとドアノブに手を伸ばすが、小人なので届かないというシーンだ。観客は殺すシーンで恐怖し、30秒後には笑うことになる。このエピソードは、コメディ畑出身の僕らしいものなんだけど、設定からしてかなりチャレンジングで、果たしてみんな笑ってくれるだろうかとは思っていた。
僕がコメディを離れ、こういう映画を撮った理由のひとつには、コメディが作りづらくなったという時代の流れも大きく関係しているだろうね。