盗まれた『天国と地獄』
黒澤がオリンピック記録映画から降板したのは、予算の削減が最も大きな理由と考えられるが、もうひとつの理由を指摘する声もある。それは田畑政治の存在にあった。黒澤は田畑に全幅の信頼を寄せていただけに、田畑の辞任によって黒澤の情熱が醒めたのではないかという説である。田畑の片腕だった岩田幸彰組織委員会渉外部長は後年になって、こう明かしている。
「田畑さんが政界の圧力で事務総長を追われたため、黒沢さんも情熱を失い、田畑さんに殉じる形でやめられたのです」(『朝日新聞』84年9月22日)
当の田畑も辞任直後に「一番残念なのは、私のやめた今日、記録映画の製作から黒沢監督が手を引くということである」(『文芸朝日』63年11月号)と、それに近い発言をしている。田畑を主人公にしたNHK大河ドラマ『いだてん』でも第45回で田畑の解任によって黒澤が辞任するくだりが描かれ、一蓮托生説を取っていた。
だが、この時期の黒澤には予算問題と田畑の辞任とは別に、大きな不幸が続けざまに襲いかかっていた。それが監督辞退と無関係とは言えないのではないか――というのが筆者の仮説である。それは『天国と地獄』にまつわる厄災として相次いで降り掛かった。
1963年3月1日の公開を目前に控えた2月20日、突如としてマスコミが次のように一斉に報じた。「盗用? 似ている場面/映画『天国と地獄』と小説・テレビ/東宝・黒沢プロが抗議」(『朝日新聞』)、「『乾いた季節』は盗作?/黒沢明氏ら原作者へ抗議へ」(『讀賣新聞』)、「『アイデアを盗まれた』/黒沢プロ 推理作家へ抗議」(『毎日新聞』)といった大手新聞各紙の見出しからも分かる通り、盗作の嫌疑がかかったのは黒澤ではなく、推理作家の三好徹が執筆した小説『乾いた季節』(河出書房新社)だった。議員の妻が誘拐される同作の犯人が身代金を奪取する手口と、被害者に同情と名声が集まるという展開が映画と酷似していたのだ。殊に『天国と地獄』のセントラルアイデアであり、原作にはない走行中の特急の窓から身代金を投げるように列車内の電話で指示されるという趣向が『乾いた季節』でも全く同じように使用されていた。
この問題に最初に気づいたのは奇しくも市川崑だった。2月5日、市川と小津安二郎、今井正らを中心に脚本家、プロデューサーらによって作られた新たなグループ、ジャパン・ユナイテッド・アーチスツの会合で、『天国と地獄』の脚本家の一人である菊島隆三と市川が顔を合わせた際に、黒澤の新作内容を菊島が話した。すると市川は、「その話なら、つい最近、小説で読んだ」(『シナリオ』63年9月号)と言い出し、それが『乾いた季節』であることが明らかになった。
この本の初版は1962年12月20日である。『天国と地獄』の脚本は同年4月5日に撮影関係者に90部が、4月30日にマスコミ関係者に650部が配布されており、『週刊読売』(62年5月13日)には「“誘かい”への怒りぶちまける/『天国と地獄』に取り組む“世界の巨匠”黒沢明」という大きな記事ではやくも内容が紹介されている。この段階ではまだ撮影が始まっていないため、脚本をもとに書いているのは明らかだが、同誌の記事では「誘かい事件の場合は、金の受け取り方にいちばん苦心する。(略)推理作家にとって、この最高の“泣きどころ”を、黒沢監督は、特急列車と電話の組み合わせを利用するという妙手で、見事に解決した」とあるものの具体的な内容はネタバレを禁じる映画会社の方針があったのか書かれていない。
では、三好は事前に『天国と地獄』の内容を知る機会がなかったのかというと、当時『週刊読売』に記者として籍を置いていたために、内容を知る機会はなかったとはいえない。しかし、三好は猛反論に出た。記事が出た翌日、名誉毀損で黒澤プロ取締役の菊島と、東宝取締役の藤本真澄を告訴したのだ。そもそも東宝も黒澤プロも正式に盗作と表明したわけではなく、三好への抗議文の検討をしていた段階でマスコミが嗅ぎつけて取材し、記事化したものだった。三好は取材に答えた菊島と藤本の発言が著しく自身の名誉を毀損していると問題視し、盗作についても全くの濡れ衣であると突っぱねた。
この問題はさらに同年2月14日にフジテレビで放送されたテレビドラマ『少年探偵団 地獄の仮面』でも犯人が貴重品を特急から投げさせるシーンがあったために三つ巴の睨み合いとなり、日本文芸家協会とシナリオ作家協会が乗り出す事態となった。脚本家では橋本忍、推理作家では松本清張をはじめ多くの著名人が見解を発表するなど混沌とした状況になり、和解まで2年を要した。
この盗作騒動の最中、黒澤は公式なコメントを発表していない。会見を求める声にも「こんどのことは、いっさい藤本氏と菊島氏におまかせしてある」(『週刊読売』)と断っており、関係者には「ことを荒だてないように」「どちらも不幸なことだ。困っている」と語っていたという。黒澤は盗作騒動には苦い記憶がある。『わが青春に悔いなし』(46)の製作時、当初完成していた脚本が同時期に同じ東宝で製作された『命ある限り』(46)と内容が類似しているという理由で改稿を余儀なくされた。当時、企画決定には撮影所内の労働組合の同意が必要だったこともあり、その力が強くなっていたことと、黒澤の態度が不興を買って起きたトラブルでもあったが、こうした経験を持つ黒澤にとって、類似に端を発する対立は〈どちらも不幸なこと〉だったに違いない。
さらに悪いときには悪い話が重なるもので、黒澤は『天国と地獄』をめぐってもうひとつの〈盗作〉に苦しめられることになる。またもや列車を使った身代金受け渡しが模倣されたが、今度は現実の事件となって相次いだのである。撮影前に「シナリオを書いた四氏が“完全犯罪”とご自慢のもの」(『毎日新聞 夕刊』62年7月12日)と豪語したトリックが災いしたというべきか。
まず、1963年3月31日に発生した吉展ちゃん誘拐殺人事件では、後に逮捕された犯人が『天国と地獄』の予告編を観て犯行のヒントにしたと語ったが、事件発生当初から「『天国と地獄』を地でゆく誘拐事件」(『高校時代』63年6月号)などと報じられていた。さらに同年9月9日には、地下鉄に時限爆破装置を仕掛けたことでも知られる草加次郎を名乗る人物が吉永小百合に脅迫状を発送。指定された日時の上野駅発青森行きの急行に乗り、車外から懐中電灯で合図を送るので、その場所へ差し掛かったら百万円を投下しろと要求した。この事件は未遂に終わったものの「警察力への大胆な挑戦!『天国と地獄』の手口で吉永小百合を脅迫」(『週刊読売』63年9月22日)というセンセーショナルな見出しとなった。他にも「『天国と地獄』まねる/脅迫少年、大捜査で捕う」(『毎日新聞 夕刊』63年10月17日)、「おどしの電話14回 映画“天国と地獄”をまねた男を逮捕」(『毎日新聞』64年3月29日)など、いずれも列車から金銭を投げさせて奪取する犯行だった。
現実でも虚構でも自作が模倣され、振り回されていたまさにその時期、黒澤はオリンピック映画の監督を正式に辞任することを決めている。予算問題、田畑の解任だけでなく、『天国と地獄』をめぐる騒動が黒澤を疲弊させたと言えるのではないだろうか。
そして『東京オリンピック』『天国と地獄』の喧騒から逃れるように、黒澤は山本周五郎原作の『赤ひげ』に没入することで心の安定を図った。これは後にハリウッド進出に挑んだ『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ!』が相次いで中止となり、逼迫した状況に追いつめられた黒澤が全てを投げ出し、山本周五郎原作の寓話『どですかでん』を撮った流れと一致する。まさに『東京オリンピック』は、その後の黒澤映画の原点があり、もし、ここで黒澤が乗り切る術を見つけていれば、その後の映画監督としての人生も違ったものになっていたかもしれない。
【参考文献】
『キネマ旬報』『シナリオ』『映画撮影』『異説・黒澤明』『黒澤明集成』『黒澤明を語る人々』『今井正全仕事―スクリーンのある人生』『今井正の映画人生』『黒澤映画の現在 ドキュメント乱』『黒澤明 「乱」の世界』『黒澤伝説 その夢と遺書』『黒澤明と「赤ひげ」ドキュメント・人間愛の集大成』『キネマ旬報別冊 黒沢明・三船敏郎 二人の日本人』『世界の映画作家3 黒沢明』『評伝 黒澤明』『蝦蟇の油 自伝のようなもの』『完本 市川崑の映画たち』『東京人』『別冊キネマ旬報 東京オリンピック』『黒澤明を求めて』『巨人と少年 黒澤明の女性たち』『私の藝界遍歴』『全集 黒澤明』『大系 黒澤明』『わたしの渡世日記』『にんげん住所録』『評伝 田畑政治 オリンピックに生涯をささげた男』『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』『東京新聞』『報知新聞』『都新聞』『産経新聞』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊読売』『文藝春秋』『文芸朝日』『潮』『文芸』『中央公論』『エラリイクイーンズミステリマガジン』『高校時代』『東京オリンピック オリンピック東京大会組織委員会会報』『東京都オリンピック時報』『総天然色長篇記録映画「東京オリンピック」配給白書』
文: モルモット吉田
1978年生。映画評論家。別名義に吉田伊知郎。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』『シナリオ』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか
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