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【ミニシアター再訪】第10回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その5 好奇心をくすぐるユーロスペース 中編

【ミニシアター再訪】第10回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その5 好奇心をくすぐるユーロスペース 中編

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空前のロングラン記録



 北條さんは当時のことをこう振り返る。


 「うちの堀越謙三社長と山崎〔陽一〕さんがベルリン映画祭でこの映画を見て、東京に戻ってから、話が進んだようです。上映の話は他の劇場にも持っていったようですが、最終的にはユーロに落ち着きました」


 昭和天皇の戦争責任を叫弾するという奥崎の過激な姿勢が右翼の神経を逆なでする可能性があったので、どの劇場も上映をためらったのだろう。


 当時、ユーロの事務所を訪問すると、封切り前には危険な発言も飛び出していた。北條支配人は映写も担当していたが、劇場スタッフたちは「もしものために北條に生命保険をかけるから」と冗談を言っていた。映写室に入る前にヘルメットをかぶってもらおう、いや、よろいを着せた方がいいかもしれない……。冗談はさらにエスカレートしていった。


 「遊んでましたよね、あの頃」と支配人も当時のことをニガ笑いしながら振り返る。


 「仮に襲われても映写室までは来ないと思っていましたけどね。ただ、消火器をまかれたり、スクリーンを切られる可能性もあったので、当時、消火器の中身は抜き、スクリーンが切られても、すぐに対処できるようにしてありました」


 結局、恐れていた右翼の騒動は起きなかった。


 「渋谷のアングラ館だから、見逃してくれたのかもしれませんね」


 当時のユーロは85席。大企業がバックについた座席数の多い劇場だったら、騒動が起きた可能性もある。この作品に関しては劇場の小ささがプラスになった。そのかわり支配人は別の疲労感に襲われた。


 「今、振り返ると、疲れた、という印象しかないです。真夏に始まった上映でしたが、四六時中、チケット売るか、パンフレットを売っている状態でした。パンフは『話の特集』に作ってもらったのですが、本当によく売れました。公開後、1週間目に高校の先生が見に来たことはよく覚えています。この映画をかけた地方の劇場もよく入っていたようです」


 この年の8月から翌年3月まで26週間の記録的な大ロングランとなり、5万3000人を動員。30年以上に及ぶユーロの歴史でも興行成績ナンバーワンである。


 映画のキャチコピーは「知らぬ存ぜぬは許しません」。戦場で小指を失った奥崎が手を上げているポスターの写真からして、ただならぬ雰囲気があった。私もこの劇場で映画を見たが、場内は異様な熱気に包まれていた。奥崎の存在感はすさまじく、確信犯として“歩く爆弾”になりきる彼は、稀有なパフォーマーでもあり、場内ではたびたび笑い声も上がっていた。


 「お客さんは普通の人が多かったです。若い人から中高年もいましたし、女性客もいました。映画が終わると充実感のある顔で出る人が多かったです。ものすごいものを見たという表情でした。ヒットした原因は、やはり、“怖いもの見たさ”でしょうか。それと見終わった後の充実感が口コミで広がっていったのだと思います。リピーターもいましたね」



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