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【ミニシアター再訪】第10回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その5 好奇心をくすぐるユーロスペース 中編

【ミニシアター再訪】第10回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その5 好奇心をくすぐるユーロスペース 中編

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今もパワフルな映画



 取材後、この映画の現在における意味を考えていたが、そんな時、この作品が劇場で上映されることを知った。しかも、(よりによって)「終戦の日」の上映である。「キネマ旬報映画祭」というイベントが大森にある劇場、キネカ大森で行われ、その中の一本として2013年に上映が行われた(封切り時に同誌の年間ベストテンで2位になっていた)。


 80年代にはミニシアターのはりしだったキネカ大森は、今では普通の封切り館&名画座になったが、いつも意欲的なプログラムを組んでいて、私もたびたび利用している。


 ふだんはギリギリに駆け込んでもすわれるので、こちらも悠長にかまえ、上映15分前に到着したら、チケット売りの青年に言われた。「お立ち見ですが、よろしいですか?」


 え、まさか! でも、どこか1席くらいはあるだろう、と甘く考えてチケットを買ったら、場内は観客でぎっしり埋まっていて、立てるスペースさえも少ない(ちょっと後に来た観客たちは入れず帰されていた)。目前の光景を信じられない思いでみつめつつ、入口で座布団を2枚受け取り、通路に座った。


 席の数は79席で、かつてのユーロスペースの座席数に近い。87年の夏が戻ってきたような不思議な感慨にとらわれた。


 映し出される映像は、どこまでも“昭和テイスト”で、それぞれの家の電話にかけられた派手な電話カバーや土間のある玄関など生活様式は古いが、そんな風化した風景の向こう側から、あの狂気をまとった言葉の数々が聞こえてくる。


 2005年に故人となった奥崎だが、現世での肉体は滅びても、過激なパフォーマンスは時を超えてスクリーン上に出現し、今も場内の笑いを誘っている。不特定多数の観客との笑い声の共有はDVDでは体験できないもので、その熱気によって映画の緊張感もさらに高まる。


 奥崎がいた昭和の夏は、もう遠い気がしていたが、こうして劇場に来てみると、映画というものが持つ力を、まざまざと思い知らされた。原監督の映画がなければ、ほとんどの人が知るはずもなかったひとりの元日本軍兵士。しかし、一本の映画によって、彼の存在は不滅のものとなり、闇に葬られた戦争責任の問題をつきつける。


 前述の取材の中で北條さんは「いまの時代はものを考えなくなった」と言っていた。「どうして考えなくなったんでしょう?」との突っ込みに対して、こんな答えが返ってきた。


 「今はフィルムでなくなったから、という言い方もできるかもしれません。撮影も、上映もデジタルですよね。撮影に関していうと、フィルムの場合、持ってくる量に限界があり、何度もやり直しはできない。カメラの前で起きたことが勝負になるし、撮った後、加工もできないので、考える必要がある」


 「でも、デジタルは何度もやり直しができます。また、上映に関しては、30キロ近い映画〔フィルム〕を別の劇場に宅急便で送る時に、5巻目が痛んでいますとか、8巻目は痛んでいます、とか書いてから渡していました。バトンタッチだったんですね。それを『映画のリレー』と呼んでいました。ところが、デジタルはいっせいに上映するので、そういう必要がないんです。今は渡す文化と届ける文化という意識はなくなりつつあります」


 この発言を聞いた時、「映画のリレー」の消滅が残念な気がしたが、『ゆきゆきて、神軍』の奥崎の姿を現代の劇場で再見すると別の発見もあった。どんなに時代が変わっても、作品のクオリティまでは風化しない。


 キネカ大森での上映にはさまざまな層がいて、学生風の青年から年配の女性まで本当に幅が広かった。上映中、私の斜め前の女性は「岸壁の母」が流れる場面で涙を流していた。また、上映後は受付の青年に「いやあ、映画魂を感じますね」と言い残して帰っていた男性客もいて、その顔は(北條さんが80年代の劇場で見たであろう)充実感に満ちていた。


 68回目の「終戦の日」に見た『ゆきゆきて、神軍』。7月の選挙で自民党が圧勝して右寄りの空気が流れ、憲法改正の問題や自衛隊の存在意義が問い直される中、戦場の惨状を体験して、戦争責任を問い続ける奥崎謙三の激烈な言葉の数々は、ただの映画であることを超え、日本の歴史や人間の生死の問題を今も観客につきつけてくる。


 映画はDCP(デジタル)上映なので、フィルムのリレーは存在しないが、それでも、「作品のリレー」、ひいては「文化のリレー」はそこにある。


 いまだ地上波のテレビでは上映されていない危険物、『ゆきゆきて、神軍』。その上映を決断し、結果としてはロングラン上映を実現したユーロスペース。そんな劇場があったからこそ、この映画は貴重な命を得て、いまも別の劇場で生きながらえている。 


(次回の後編では“ユーロ御三家”ともいえる3人の監督への思いが語られる)




◉現在、ユーロスペースは「KINOHAUS」というシネマコンプレックスビルに所在。ほかにシネマヴェーラ渋谷、オーディトリウム渋谷、映画美学校などが入っている。



前回:【ミニシアター再訪】第9回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その4 好奇心をくすぐるユーロスペース 前編

次回:【ミニシアター再訪】第11回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その6 好奇心をくすぐるユーロスペース 後編



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。

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