純愛とエロティシズムにこだわった映画化
Q:原作はストーリーがかなり複雑で、様々な要素がごった煮のように入っていますが、脚色される際、監督はどんなポイントにこだわったんでしょうか。
手塚:原作だと主人公は途中で結婚したり、奥さんから逃げて精神病院に入ってと…いろんな描写が出てきます。それを映画に入れるとすごく説明的になってしまうので、そこは飛ばした方が見やすいだろうと。とにかく今回はシンプルな作品にしたかったので、限られた空間と時間の中で展開する男と女の話に絞りました。
Q:映画の読後感が原作とだいぶ違います。特に、恋愛感情に焦点を絞っているように感じました。
手塚:そうですね、そこはものすごく意識しました。結局エロティシズムっていうのは男女二人の関係性だと思うんです。単純に表現としてのエロという意味ではなく、男女の関係性、そこにたちあがる非常にデリケートな距離感みたいなものがエロティシズムだと思うんです。
そういう意味でいうと、僕は自分の作品は常にエロティシズムに関する映画だと思っていますし、意図的にそういうテーマを選んで作っているのかもしれません。
Q:クライマックスはすごくショッキングでありつつ、ちょっと不思議な世界観で、原作のラストとはまた違う感触ですね。
手塚:クライマックスでばるぼらは服を着てないんですね。これは原作にそういう絵があって、その絵がすごく魅力的だったので、もう説明はいいからとにかく裸なんだと。裸でないとここは駄目だ、というので裸なんですよ。
でもそれが、すごくしっくりくるんですね。逆にあそこで服を着ていたら変な感じがしたかもしれないし、もっといやらしさが出ちゃったかもしれないですけど、裸であることによって、ばるぼらが美しいんです。二階堂さんが綺麗だから、本当に聖なるものがそこにあるという感じが出ています。だから原作通りにやったら、映像ではまた違う良さが出るっていうこともあるんだと感じましたね。
Q:手塚先生が描く女性の肉体は独特ですが、二階堂さんの体と手塚先生の描く裸体がちゃんと重なっている感じがしました。
手塚: 手塚漫画の線というのはすごくセクシーなんですね。ある種のエロティシズムを感じる。そのセクシーな線をどう生身の人間が表現できるかっていうところで、撮り方、見せ方は気をつけてやりました。本来セクシーに見せる必要ないところを、少しセクシーに見えるように撮るにはどうしたらいいのか、いろいろ考えました。
その中で一番僕が狙ったのは、やっぱり映像そのものがセクシーであるということなんです。これは裸が映っていなくても、人が映っていなくても、極端に言うと歌舞伎町のゴミが映っていてもセクシーに見える、そんなカメラマンは一体誰なんだ?と思ったら、それはクリストファー・ドイルさんしかいない、という結論だったんですね。
Q:撮影がクリストファー・ドイルさんだからかも知れませんが、日本映画の伝統的な裸のエロティシズムとはちょっと違いますね。
手塚:違うと思います。特に60年代以降の日本映画は、変に生々しい感じがするんですよ。正直言うと僕は苦手なんです。暑苦しいと言うか、ベタベタした感じがするんですね。
Q:汗がじっとり滲むような…
手塚:そういうイメージがすごくあるので、その真逆をやりたいなと思いました。これは今回初めてそう思ったわけではなく、常にそういう風に感じているものですから、僕が撮る裸はいやらしくないんですよ。
昔からラブシーンを結構撮っているんですが、「いやらしい」と言われたことはないですね。どちらかというと「綺麗」と言われる。だから今回はかなり生々しいラブシーンもありますが、女性でも安心して見られると思います。むしろ女性の方がそういう場面は見ていて気持ちいいかもしれないですね。
Q:手塚治虫先生のセクシーな線を実写で再現するために、こだわった演出はありますか?
手塚:一番最初にばるぼらが倒れていて、それを主人公が見つけるところがあるんです。原作のばるぼらは、あそこでロングパンツを履いているんです。ここだけは僕は変えたかったんですね。漫画は線でセクシーな魅力を表現できますが、実写ではそれを別の何かで表現しなきゃいけない。そのセクシーな線というのを表現するためにショートパンツにしてくれと。
ただ衣装さんや二階堂さんからは「やっぱり原作通りの恰好がいいんじゃないか」って言われたんです。でも最初に手塚治虫のセクシーな線をどこかに感じさせないと、キャラクターの印象が変わってしまう。だからショートパンツで脚を見せてくれと。そこだけはお願いしたんです。
ただ原作だとばるぼらは美倉の部屋に行っていきなり裸になっちゃうんですね。これは早すぎる、つまりそこで二階堂さんが全部脱いでしまうと、その後の印象まで全部変わってしまうんですね、だからここは逆に脱がさないでいこうと。
そして原作では物語の途中で、ばるぼらは急に「女」になる。だから映画でもそこまでは我慢してギリギリのセクシーさで留めておく。それで途中からは彼女が全部さらけ出していく、という風に構成したんです。