カット割りが苦手すぎる
Q:脚本も含めて色々と自分の中で積み上げてきて現場に臨まれると思いますが、自分が想像してきたものと、今目の前で撮っているものが違ってしまうことはありますか?
今泉:全然ありますね。もちろん準備はしますし色々と考えるのですが、でも頭の中に完成形は全くないんですよ。
Q:なんと!そうなんですか。
今泉:だから毎回、出来上がった映画を観て初めて「こういう映画になるんだー」って思ってます。「自分が思ってた通りの映画になった!」みたいなことって、いつ以降経験してないだろう…。短編を撮っていた2007年頃は、まだ絵コンテを描いたりしてましたけど、最近はアングルを事前に考えることなんて、まずないですね。
Q:絵コンテは描かないんですね。意外でした。
今泉:もうカット割りが苦手すぎて分かんないんですよ(笑)。いまだに全然分かんないから、基本的に全部“通し”で撮るんです。芝居をよくする方法の一つですね。最初はツーショットで、後半のある部分から寄りで、とかいう風に、カットを割って撮影しちゃうと、途中で芝居を切ってしまうにことになるので、役者も感情を作りにくいと思うんです。一つのシーンを最初から最後まで一通りやってもらって、それをアングル別に繰り返す。何回もやるのは大変ですが、でもそっちの方が役者は感情を作りやすいと思う。だから基本的には全部通しで撮って、どこで引いてどこで寄るかは基本的に編集で決めてますね。
撮影の現場って、照明や美術などのセッティング効率もあって、カメラを引いた画から撮っていくんです。まず広い画角で撮って、徐々にカメラが寄っていく。そうやって撮ってる時に、芝居がどんどん良くなっていったりすると、スタッフに「本当に申し訳ないです!」って断りを入れて、「もう一回引いていいすか」って、最初の引きの画を撮り直したりします。芝居が良くなってるから最初に撮ったものと繋がらなくなるんですよ。でもそういう場合は、俺が言う前からスタッフも気づいてるんですよね。「今泉、これもう一回引いて撮るぞ」って(笑)。
『街の上で』今泉力哉監督
Q:テレビドラマはカメラ数台で撮るけど、日本映画の場合は基本カメラ1台で撮ると聞いて、役者さんは大変だろうなと思いました。どんなに感情が高ぶった演技でも、アングル違いでそれを何度も繰り返すことになるんですよね。
今泉:知り合いの役者に聞いたのですが、俺みたいに通しで撮らずに、細かくカットを割って撮る監督もいるらしくて、シリアスなシーンを広い画で撮ってて、涙流す直前でカットがかかって「じゃあ、今からアップ撮ります」って(笑)。それは役者にとっては地獄だなと(笑)。役者もロボットじゃ無いので。表情とかそれでいいものが撮れるのかなって、ちょっと俺には信じられない方法ですけどね。でも、まあ、役者たるもの、当たり前に泣けなきゃダメなんでしょうけど。
Q:アングルについては、カメラマンの仕事だって任せる監督と、細かく自分で決める監督と、いろんな方がいるみたいですね。
今泉:本当はスタッフを信頼して任せなきゃいけないんだけど、でも俺も、つい言っちゃうってのはありますね。自主映画をやってた時は、美術部(スタッフ)とか誰もいなくて、手紙1枚から役者が使うコップまで、美術や小道具は全部自分で用意してたんです。その辺は自主映画出身の良し悪しが出ちゃうんですよ。
今は美術部が全部用意してくれて、俺はもちろん事前に内容を確認させてもらうのですが、あまりに量が多いと、部分的にお任せになってしまう装飾物があるんです。その代表格がマグカップや茶碗、フォークやナイフなどの食器類ですね。用意された食器を現場ではじめて見た瞬間、「(映したいのは)絶対にこの食器じゃ無い」ってなっちゃう時も、たまにあったりしますね。
また、テーブル上に並んだちょっとした小物の位置とかは、本当は指示して美術部に動かしてもらわなきゃいけないんですけど、俺は自分で触って直しちゃったりすることがあって。岩永さんとかからは「自分でやっちゃ駄目だって。それは美術部の仕事だから、指示してやってもらわないと駄目だよ」って、いまだに怒られるんですけどね。「もうちょっと、ちゃんと任せて」って。
いろいろ触って、モニターに戻ってチェックして、自分でやって時間をかけた割には、結局「最初のが一番よかったですね」みたいな(笑)。自分で触ってみて初めて、美術さんがきれいに置いてくれてたことが分かったりするんですよね。食器なんかだと元の位置に戻せるんですけど、適当に洋服を置いたりしてる場合は、もう二度と元の形に戻らない(笑)。そういうのよくやっちゃってますけどね。