渡辺あやの脚本から須藤蓮監督作へ
Q:実際にご自身が監督するにあたっては、ビジョンを具現化する必要が出てきます。その辺はどのように進めたのでしょうか。
須藤:そこはすごく苦労しました。渡辺さんの脚本って、まるで画が織り込まれているかのような文章で構成されているので、画自体はすぐに浮かぶのですが、それをそのまま撮ることには少し懸念がありました。ちなみに最初にイメージしたのは、ぼんやりした日常を定点フィックスで撮る、ホン・サンスの映画のような画でしたね。
とにかく脚本が“大人”でして、その“大人な感じ”は個人的には好きなのですが、それを映像化した際にどこまで届くものになるのかは、かなり考えました。そういうこともあり、最初に読んで感じたイメージからは、ガラッと変えようとして画を作っていきました。この脚本をどう崩してくかという視点を持っていたと思います。
Q:『ワンダーウォール』の前田監督は、渡辺さんの脚本はまるでコンテだと言っていました。
須藤:そうなんです。普通は物語を作るところから脚本を立ち上げる事が多いと思うのですが、たぶん渡辺さんは、映像を脚本に落とし込んでいるんです。画がすでに見えていて、それを脚本に起こしている。脚本がすごく映像的だからこそ、映画やドラマになってもクオリティが落ちていかない。
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この脚本はいろんな人に読んでもらったのですが、みんな「画が浮かぶ」って言うんですよ。それがちょっと悔しくて。脚本を読んで画が浮かぶのであれば、僕が監督する必要ないなって、最初はそれもあって、みんなが浮かぶ画とは全然違う映画にしようって思っていましたね。
99%渡辺あや、1%須藤蓮で始まる最初のバランスから、自分の監督作品としてどこまで手繰り寄せていけるか、自分の中では熾烈な争いがありました。この脚本に自分の存在意義を見出していくことがすごく難しくて、ひたすら脚本を読んで、河原を歩き回り、自分はこの脚本で一体何を撮るんだと、自問自答していた時期もありました。
Q:あがった脚本に対して改訂のリクエストなどは出されたのでしょうか?
須藤:そのままでも素晴らしい文芸作品だったのですが、もう少しだけ分かりやすい瞬間が欲しいとお願いしました。実際に追加されたのは、吉岡が不良を追い払うシーン、文江のエンゼルケアのシーン、晃が飛び降りる瞬間を文江が見るシーンですね。
Q:なるほど、そこの部分が足されたのですね。ぜひ具体的な理由を教えて下さい。
須藤:晃が吉岡に憧れていることが分かるような、吉岡がカッコよくみえる瞬間が欲しかったのと、文江の人物像をもう少し分からせたい、という希望を出しました。飛び降りるシーンについては、文江が晃を見つめるシーンがあった方がいいよね。という、渡辺さんからの提案ですね。
晃とみーこは初稿の段階から存在感を放っていたので、たぶん僕自身、文江と吉岡という人間をもっと分かりたかったのだと思います。