割り切れない“世界”
Q:個人的にはもう一つ印象的なものがありまして、議論のシーンなのですが。
須藤:やっぱり、そこなんですね。
Q:あ、すでに散々質問受けました?
須藤:いやいや、全然そんなことないんです。そこは語りたいポイントなので、すごく嬉しいです。
Q:よかったです。ホッとしました(笑)。あの議論のシーンでは、みーこが割って入ってくるところが、とても印象的でした。これはもう、絶対に外せないシーンだったのではないかと思いまして、あのシーンを入れた意図をお伺いしたいです。
須藤:この映画を象徴するものがあるとすれば、まさにあの議論のシーンで、そしてそこに立ち向かう、みーこの背中なんです。僕は、自分が持っている疑問や曖昧な感情をあのシーンに全て込めました。そしてまさにここも、芝居が想像(脚本)を越えたシーンになっているんです。
もともとの脚本では、みーこが「うちの親戚、みんなピカで死んだんよ」とつぶやく。としか書かれていなくて、そのつぶやきが議論している若者たちに軽く受け流されるだけのシーンでした。しかしいざ撮影が始まると、議論している若者たちが本当に熱くなってしまって、ものすごい熱量がそこに生まれてしまったんです。議論の内容も脚本には特には書かれていなくて、出演してくれた若者たちの実際の言葉なんですが、その場で燃えていた焚火の炎のように、議論がたちあがり燃え上がっていきました。そうすると、みーこがその勢いに気圧されてしまって、セリフもかき消されてしまったんです。
議論している側が脚本を超えてしまったから、みーこも脚本を超えなければ太刀打ちできない。だからみーこには「何とかしてあの議論を止めろ」という指示を出しました。一方で議論している側にも「みーこに気を使う必要はないから、議論を続けてくれ」とお願いしていました。ここでお互いに変に気を使ってしまうと、せっかくの勢いが削がれてしまう。
あのシーンでは、みーこを背中からしか撮っていないんです。それは最初から決めていて、みーこの顔は見せずに、彼女が背負っているのもの見せたかった。背中で語らせたかったんです。結果、みーこは見事に全てを背負って立ち向かってくれましたね。
『逆光』須藤蓮監督
ここでは、ふとした日常の中に、戦争体験や人の痛みがすっと入り込んでくるようなシーンをやりたかったのですが、これほど強烈なものになるとは全然想定できていませんでした。若者たちには核武装について議論してもらっているのですが、そこにみーこの家族の原爆体験がはいってくる。まさに机上の空論に現実が割って入ってくる瞬間がそこにあるわけです。でも、机上の空論が持つエネルギーみたいなのものもあって、どちらも僕自身が抱えているものだったりする。要は、割り切れない世界がそこに立ち上がっている。そこに観客も一緒に立ち会って考えて欲しかったんです。
自分の中では、戦争反対、核武装反対、憲法9条改正反対、という基本の考え方があるですが、あまりにそれ一色に染まり過ぎると、人の意見が聞こえなくなるのかもしれないという恐怖心がありました。その自分がかき乱されるシーンを作ろうと思ったんです。普段は耳をふさいでいる内容の議論に、いきなり巻き込まれるということが大事でした。
Q:ああいう議論って、現実でも唐突に始まるようなものだと思いますが、観ていて違和感もなく、強烈な印象も残りました。みーこというキャラクターの意外性も出ていて、まさに現実で抱える矛盾みたいなものに対して、あがいてるような感じが強くありました。
須藤:そうですね。確かにあがいていたかもしれないです。
© 2021『逆光』FILM
Q:渡辺あやさんが脚本を書かれたドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』(21)の中で、松坂桃李さん演じる主人公の上司が「正論なんて大嫌いだ!」と言うシーンがあるのですが、なぜかそのセリフをふと思い出しました。正論はあくまでも正論なので、言っていることは分かるのですが…、という矛盾に満ちた気持ちとでもいいましょうか。
須藤:まさに矛盾ですよね。渡辺さんと普段仲良くさせていただいて、そういう考え方に影響を受けているという部分もあり、一辺倒じゃ言葉は届かないんだっていうことは、自分自身の体験としても深くありますね。
Q:その思いをこの映画にしっかりと込めたことは、とても大切なのだと思います。
須藤:世界の割り切れなさみたいなのも、たぶん『逆光』で描きたかったんだと思います。天然で自由奔放な、みーこの意外性にハッとさせられたり、吉岡の誠実さが反転していく感じや、晃と文江の関係性が一方向のものではなくなっていったりと、世界の形ってひとつだけじゃないという、曖昧さとか、矛盾とか、割り切れなさとかは意識していますね。
だから一方で、割り切り過ぎている世界に対する危機感みたいなのもあるんです。戦争もそうだし、じつはこの映画業界だってそうかもしれない。そういった危機感も、この映画の中に潜り込んでいる気がしますね。