ビーチでの撮影で新しい自分を発見
Q:主人公たちがビーチに「隔離」される状況は、まるでコロナ禍の人々を暗示しているようで、あまりにタイムリーです。
シャマラン:たしかに「パンデミックの中で脚本を書いたのでは?」と言われるが、もちろんもっと前から準備をしていた。たとえば、SNSで「コロナで卒業式やパーティがなくなった」と嘆き悲しむティーンエイジャーのように、『オールド』の登場人物たちは人生の節目のイベントを経験することなく時間が過ぎていく。とにかく「生きていく」ことに集中するしかない。むしろ生きていることを「許されている」感覚になる。そう考えると、人生には不必要なものも多い気がしたりして、パンデミックの生活と不覚にも重なってしまったようだね。
Q:そのパンデミックの中で撮影が行われたわけですが、精神的にはどんな状態だったのですか?
シャマラン:じつは僕らスタッフも、キャストも、パンデミックの中で予想されるような緊張感は強いられなかった。幸運にも安全な環境を作り出すことができたんだ。撮影地のドミニカ共和国は当時、感染がとても低く抑えられており、メインの撮影場所も屋外のビーチ。僕らはホテルとビーチを行き来するだけで、家族なども呼ばず、最低限のメンバーという安心感があった。エキストラを使うシーンもあったが、1日で済ませたよ。もちろん毎日、誰かが感染するかもしれない危機感はあった。そうなったら、たとえ天候がよくても、撮影が中断されるわけだからね。でも幸い、そのような事態は起こらなかった。日々、安堵を感じながら撮影を続けたよ。
『オールド』© 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
Q:外の世界から遮断された「隠れ家リゾート」のような状況でもありますね。
シャマラン:たしかにそうだ(笑)。でも日中の15時間、太陽が照りつける場所にいるのは、ちょっと過酷で、最初の4日間くらいはキツかった。ただ人間というのは慣れるもので、拷問に感じた状況も美しさに変わる。毎朝、日の出を眺め、夕方には太陽が沈み、その色に感激し、熱い砂浜が冷たくなることに心が安らぐ。海水や空気、雲の流れから嵐の接近を感じることもある。そうした自然との対話は初めてで、僕は別の人間に生まれ変わった気もした。
Q:そういえば、これまでのあなたの作品は、ほとんどフィラデルフィア周辺で撮影されてきました。
シャマラン:原作を読んだ時の感覚を表現するには、これまでの僕のやり方や、仕事する仲間を一新する必要があると考えたんだ。フィラデルフィアを離れて撮影することは、決して快適な経験じゃない。たとえばアップルTV+のシリーズ「サーヴァント ターナー家の子守」(19)なんて、僕の自宅から25分の場所で撮っていたから、気軽に行き来して、なんでも好きなように撮影していた。今回の『オールド』は、異次元レベルの体験だ。プレッシャーにさらされながら僕の中から新しい自分が顔を出す。そんな撮影だったね。