心がけているのはクラシックな編集
Q:前述の通り、ほとんどの会話が非常に長いですが、長回しの1カットではなく、ちゃんとカットが割ってあります。ご自身の中でカット割・編集のルールのようなものはあるのでしょうか?
濱口:できるだけクラシックな編集を心がけています。撮影の際は、人物が見えやすいところにカメラを置いて、起こっている出来事がわかるように人物とカメラの関係性を作っていきます。位置関係で混乱せず、かつ人物の表情ができるだけよく見えるようにする、ということですね。最終的な編集に長回しはほとんどないですが、芝居自体はテイクごとに最初から最後まで通してやってもらっています。ただ、人物はそれなりに動くので、(今回は移動車なども無かったので)一つのポジションの中で良く撮れるとこと撮れないところが出てきますし、さらにそこに演技の良し悪しも関わってくる。良いポジションで撮れても、演技がいいとは限らなかったりするんです。
そういう状況の中でも「ここは大事なところがすごく良く撮れたな」というところが一つの核となって、「次はここにカメラを置きましょう」と、最終的に目指しているクラシックな編集が可能になるようなポジションにその都度カメラを置いて撮っていきます。そうしてカメラポジションと演技の一番上手く行っているものが、その後の編集の核となり、そこに一番血を通わせるように編集をしていくんです。
『偶然と想像』©2021 NEOPA / fictive
Q:自然な会話が繰り広げられたかと思えば、いつの間にか舞台を見ているような演技が展開されている。そのあたりが渾然一体となっている印象を受けましたが、俳優への演出はどのようなものだったのでしょうか?
濱口:これは基本、役者さんにお任せです。本読みまでは入念にやりますが、どう動くかまで細かく指示してしまうと、混乱が生じてテストだけで消耗してしまう。空間全体を使ってもらえるように、ある程度大枠の動きはつけますが、他のところは任せていく感じです。だからどういうニュアンスになるかというのは、撮影するまでは分からない。
映画の撮影においては、カメラもしくはスタッフが現場の中心になりやすい傾向があります。大概の場合、カメラを動かすより役者さんに動いてもらうほうが楽だからですね。「このセリフからお願いします」とか「このセリフのときはカメラの方に体を向けて」とか、役者に向けて細かい指示があるのが一般的ですが、今回は、どちらかと言えば役者さんの動きが先にあって、それをカメラで追いかけたり、待ち受けたりする形で撮っていました。先ほどお話ししたように“通し”で演技をしてもらったので、役者さんへの細かい指示は他の現場よりも非常に少なかったのではないかと思います。役者さんの一人は撮影が終わったときに「舞台のような感じで、すごく気持ちよく演技できました。それがどう映っているのが楽しみです」と言ってくれました。演じている側にそういう演劇的なものに迫っていくところもあったのかもしれませんね。