創立70周年を迎えた東映が総製作費20億円を投じた映画『レジェンド&バタフライ』(1月27日公開)。木村拓哉が織田信長、綾瀬はるかがその妻・濃姫を演じた本作の監督を託されたのが、大友啓史だ。
大河ドラマ「龍馬伝」(10)、『ハゲタカ』(09)、『ミュージアム』(16)、『るろうに剣心』シリーズ(12〜21)――強度の高い作品をいくつも作り上げてきた彼は、このビッグプロジェクトにどう挑んだのか。その口からこぼれ出てきた創作法は、イマジネーションを止めない“その場のひらめき”を重視するというものだった。劇場映画への熱き思いも詰まったロングインタビューをお届けする。
Index
- 意味に囚われた映画づくりは面白くない
- 創作されたキャラでなく、実在した人として先人を演じる
- 「自由に動ける環境を作る」俳優演出論
- ヘルツォーク作品にインスパイアされた蝶のシーン
- 配信の時代に、映画の原点・京都で撮る意義
- 時代劇という枠や型に囚われない作品に
意味に囚われた映画づくりは面白くない
Q:本作を拝見した際、冒頭の日常描写が鮮烈でした。地面にいるバッタとカマキリがほうきで掃かれ、そこに武器を持った軍勢が現れて「こういう時代なんだ」とわかる。こうした“入り”はどのように生まれたのでしょう?
大友:「輿入れ」と聞くと、現代の我々には両家の幸せムードが漂っているように思えますが、改めてリサーチをして分かったのは、戦国時代の輿入れは時として1万人の軍勢を引き連れていくようなものだったということです。なので、輿入れする美濃側の行列はかなり長い行列を、迎える側の織田勢も武将や雑兵たちをずらりと門前に揃えています。相手の門をくぐって、輿をちゃんと渡すまでは何が起こるかわからない。両家のさまざまな思惑があって決めたことだから、ひょっとしたら輿入れと称して攻め込んでくるんじゃないか?という不安もあったでしょうし、基本的にハレの日であるけど油断はできない状況だったんですよね。そうした緊張感があることを発見して、そのムードの中で織田信長だけがちょっと変な騒ぎ方をしている方が面白いと感じました。
それで撮影現場で冒頭のクレーンショットを狙っていたら、誰ともなく昆虫でもいたら面白いねということになって。「あっカマキリがいる」と(笑)。「じゃあ次はバッタを探せ!」と。それで演出部の担当者が次々と昆虫を見つけてきた。カマキリとバッタが一緒に掃かれていくのも面白いねとか、現場でああだこうだ言いながら、ファーストカットが生まれました。
『レジェンド&バタフライ』©2023「THE LEGEND & BUTTERFLY」製作委員会
Q:そうだったのですね! 驚きです。
大友:オープニングショットですから、当然観た方は色々な意味に解釈してくれると思いますが、現場では極力、意味に囚われた映画づくりはしたくないと思っていますね。あらかじめ意味や解釈を固定して作ると「こういうことを撮ればある程度こういう意味が発生するだろう」と想定できるようになる。決め込み過ぎちゃうと、現場での作業が事前プランニングをなぞるような形になって、発見する面白さ、自由裁量の幅が小さくなっていく気がするんですね。プランはしつつ、その上で考える余白を残しつつ。なるべく目の前でふっと起きた出来事を直感的に捉えていく。時折、必要以上に考え過ぎないよう、自分自身に言い聞かせていますね。意味は観る側がきっと与えてくれるだろうと。
結局自分が仕掛けていることだから、どこか作為的になりすぎてしまうこともある。世の中って「意味」だけで成り立っているわけじゃないですから。世の中で起きていることをニュートラルにフレームに収めていくというスタンスを撮り続けていかないと、全部自作自演になってしまう気がしていて。それは面白くないなというのが僕の生理ですね。何度もとっかえひっかえ、あれやこれやトライしていくなかで一番これが興味深いかなというショットを冒頭に持ってきました。