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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシ監督 自分の中で変わってきた映画作りとは【Director’s Interview Vol.364】
自分の中で変わってきた映画作り
Q:本作を含め、あなたは悪に手を染めてしまう人物ばかりを描いています。そういう人間に惹かれてしまう理由は何でしょう?
スコセッシ:どんな映画でも撮れる監督でありたいーーそう言いたいところなんだが、私には無理だ。自分を魅了してくれるキャラクターを撮り続けていたら、結果的にそうなってしまったという感じだろうか。その理由はとても簡単だ。私が8,9歳だった頃の周囲の大人たちは、それこそ“悪に手を染めている者ばかり”だった。少年だった私は、それを普通の大人として見ていたのだけれど、のちになって暗黒街の人たちだったと知ることになった。この“周りの普通の大人たちは、簡単に悪事を働くことが出来る”というとんでもない矛盾を突きつけられたことと、カトリック教会の教えに触れていたことが、私の人生ではとても大きな要素になっている。毎日をストリートで過ごす少年にとって、モラルを説いてくれる神父さんがバランスを保つ上で欠かせない存在だったと言えるだろうね。
Q:最近のあなたの作品は長尺のものが多く、映画作りが変わって来たように感じるのですが、いかがでしょうか?
スコセッシ:確かに今は、どちらかというとキャラクターやストーリーのほうを重視している。若い頃は、映像をどう撮って行くのかという部分だけでワクワクしていた。つまり、カメラの動きやカット、ロングテイク等、いろいろと試すのが楽しくてね(笑)。『カジノ』(95)のステディカムを使用したロングテイク等、ひとしきりやってしまったので、物語等に傾いて行ったという感じだ。ただ、ストーリーとキャラクターに重きを置くようになれば、そういう撮り方を模索しなくてはいけないので、それはそれでちょっとした恐怖感も生まれるんだ。果たして上手く行けるかな? というわけさ。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』画像提供 Apple
Q:本作ではどうでしたか?
スコセッシ:模索する足掛かりとなるのは、キャラクター、ストーリー、そしてロケーションだ。私は、この三つの要素に先導されるかのようにカメラを動かす。その動きも脚本段階から決めている場合もあれば、現場で最適な動きを見出すこともある。今回は現場の場合が多く、この経験は私にとってとてもいいものになった。あたかもあの1920年代のオクラホマに私自身が身を置いているような感覚が生まれ、あの世界に没入することが出来たんだ。オクラホマには草原しかないので、どこにカメラを向ければいいのか分からなくなるし、フレームに何を収めるべきなのか、それもなかなか決められない。いつも私が撮っているニューヨークと正反対だよ。私はそうやってオクラホマの大地に身を委ねることでクリアしたんだ。
Q:上映時間についてはいかがですか。
スコセッシ:映画の尺はストーリーによるわけで、今回のような複雑なものを、私たちが語りたいように語ったらこの長さになったというところだ。最近の人たちはドラマシリーズをまとめて5時間、一気見することもあるし、3時間半にも及ぶ舞台を鑑賞することもいとわない。成熟した観客なら、作品に敬意を払って最後まで観てくれるだろう。だったら映画で同じようなことをやってもいいのではないかと思ったわけさ。長尺はリスクを伴うことは判っている。しかし、観客にどういう感情的なインパクトを与えられるか? ということを考えた上での3時間26分だ。とはいえ、次の作品が2時間、あるいは90分くらいになればそれはそれで万々歳。4時間以上になったとしても、私は挑むけれどね(笑)。