早く帰って欲しいお客に対して、本心を隠して遠回しにいう京都の言葉「ぶぶ漬けどうどす」。本音と建前を使い分ける京都人の性格がよくわかるこの言葉、なんとそのまま映画のタイトルになってしまった。しかしこの映画、多くの観客が予想するであろう物語を何食わぬ顔で裏切っていく。未知の世界・京都へいざなわれたかと思いきや、それを凌駕する主人公の度が過ぎるほどの天然ぶりに、物語は予想外の方向に突き進んでいくーー。
シニカルという言葉がぴったりのこの物語を、冨永昌敬監督と企画・脚本のアサダアツシ氏はいかにして作り上げたのか。二人に話を伺った。
『ぶぶ漬けどうどす』あらすじ
京都の老舗扇子店の長男と結婚し、東京からやってきたフリーライターのまどか(深川麻衣)は、数百年の歴史を誇る老舗の暮らしぶりをコミックエッセイにしようと、義実家や街の女将さんたちの取材を始める。ところが、「本音と建前」の文化を甘く見ていたせいで、気づけば女将さんたちの怒りを買ってしまう。猛省したまどかは、京都の正しき伝道師になるべく努力するが、事態は街中を巻き込んで思わぬ方向に──。
Index
当初の企画は京都でホラー
Q:本作の企画は高校生向けのホラー映画からスタートしたそうですが、今の形になったのはどれくらいのタイミングだったのでしょうか。
アサダ:2018年から企画がスタートし、京都版『ローズマリーの赤ちゃん』みたいな話を考えていました。でも、こんな話を一体誰が撮れるんだろうと思っていたら、プロデューサーから「冨永さんが良いんじゃない」と提案があった。冨永さんだったら、ホラーでも全然違うテイストで作ってくれるかもしれない。それで冨永さんにお会いしたのですが、それがコロナ禍の前ぐらいでしたっけ?
冨永:そうですね。最初に会ったのは2019年の夏でした。その時点では『ローズマリーの赤ちゃん』という話があり、確かにホラーの企画でした。ただ、僕はホラーを撮ったことはないので、たとえ意外性があったとしても普通は呼ばれませんけどね(笑)。
まぁ、それでも僕自身は興味があったので「一度京都に行ってみましょう」と。それでアサダさんとプロデューサーと一緒に、京都の老舗のご主人や女将さんたち5~6人にお会いして2日間かけて話を伺ったんです。それが2021年の6月くらいでした。その話を聞けたおかげで、僕やアサダさんの中で京都についての認識が変わり、そこからプロットも変わっていきました。
『ぶぶ漬けどうどす』©2025「ぶぶ漬けどうどす」製作委員会
Q:京都でホラーという話を最初に聞いたときの印象はいかがでしたか。
冨永:老舗のご主人や女将さんたちからは予想外の話が出てくるし、これはもしかしたら、僕らは京都という概念に期待しすぎているのではないか。だったら、この「期待しすぎ」を主人公にやってもらった方が面白い。そうやって「怖いのは(京都とまどか)どっちなんだ?」という方向に向かっていきました。
アサダさんが考えたものに乗せてもらうような形で僕は加わりましたが、一緒に映画の話をしたり、京都の取材をしていくうちに、僕らは好きなものが似ていることがわかった。そしてやっぱりホラーは違うんじゃないかと(笑)。ホラーのようなジャンルものって、僕もアサダさんも今までやっていなくて、二人が好きなのはもうちょっとひねくれたもの。だからホラーじゃなくて、今の形にいく方が自然だったんですね。
Q:アサダさんは京都にどんな印象がありましたか。
アサダ:京都を舞台にした映画には好きな作品が多く、自分も京都を舞台に話を作りたいと思っていました。ただ、自分の出身は奈良で、奈良の人間が京都を描くのは多分あまりないパターン。奈良に住んでいると、奈良と京都は同じような歴史や背景を持っているにも関わらず、まるで地味なお兄さん(奈良)にキラキラした弟(京都)がいるような感じがありました。そんな地味なお兄さんのところに生まれた人間が、キラキラした弟を描くと一体どうなるのかなと。
関西人といえば真っ先に大阪のイメージが浮かぶので、アクや当たりが強い印象を持たれると思います。奈良も割とそれに近いのですが、かたや京都は“はんなり”としていて、相手が怒っても「そんな怒る必要あらへん」とちょっと引いたような感じがあるんです。また、京都の人は内面を見せない部分があるので「京都人は何考えてるかわからへん」となる。その「何考えてるかわからへん」部分に闇や怖さがあるのではと思っていました。