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僕が願うのは、あらゆる人間を排除しないこと。『エンテベ空港の7日間』ジョゼ・パジーリャ監督【Director’s Interview Vol.43】

僕が願うのは、あらゆる人間を排除しないこと。『エンテベ空港の7日間』ジョゼ・パジーリャ監督【Director’s Interview Vol.43】

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善と悪の境界とは



Q:『エンテベ空港の7日間』は、ある程度、脚本が仕上がっている状態で監督をオファーされたということですが、この企画に惹かれた理由は何だったんでしょうか?


パジーリャ:このプロジェクトに惹かれる要素はたくさんあった。興味を惹かれた一番の理由は、ハイジャック事件の犯人側について語っていたからなんだ。この脚本のハイジャック犯たちは、アメリカ映画に出てくるような、まるでモンスターか人格なんて存在しないように描かれる類型的なテロリスト像とは違っていた。確かに悪事を行ったけれど、犯人をひとりの人間として描いていた。


そうすることによって、僕たちはハイジャック犯の心理を覗くことができるし、人質たちが、結果的に自分たちの命を救うことになった理由を理解することもできる。ある事件を取り上げて、犯人をひとりの人間として描こうという視点は、僕が『バス174』でやったのと同じだと思ったんだ。




エンテベの事件でも、人質たちはハイジャック犯の(ヴィルフリート・)ボーゼとコミュニケーションを取ろうとした。そして最終的な局面では、ボーゼは人質たちを処刑するチャンスがあったのに撃たなかったんだ。その代わりに仲間たちに「ちょっと待て、様子を見よう」と言って時間を稼ぎ、そのおかげで人質たちは救出されたんだよ。


Q:今、『バス174』との共通点を指摘されましたが、大義のために善が歪められて暴力的な行為をなすという構図は『エリート・スクワッド』の特殊部隊BOPE(ボッピ)の狂信性とも共通しています。監督は一貫して、善と悪の境目みたいなものに惹かれているんでしょうか?


パジーリャ:そうだね。多くの人は善と悪を、絶対的な概念だと思っている。でも、違うんだ。善と悪は相対的なものだ。誰かにとって善が、別の誰かには悪かも知れない。あくまでも価値観の問題で、その人の立場や人格によっても変わるものだと思う。僕らが覚えておくべきことは、絶対的な善も絶対的な悪も存在しないということ。イスラム教徒にとっての善行がキリスト教徒には認められなかったりする。ハッキリしているのは、善悪は相対的な概念でしかないんだ。




今、君は善と悪の境界と言ったけど、そもそも境界なんて存在するのか? 善悪はとても流動的で、見つけ出すことは非常に難しい。善と悪は常にモラルと結びつけられて語られるけれど、文化が違えばモラルは変わるし、人々にとって大切なことも違う。


僕にとって重要なことは、映画を作るなら、あるシチュエーションを描く方法論として、あらゆる文化の人々が善や悪について自問して、話し合えるものにすること。ディベートや議論を巻き起こすような映画ができれば成功だと思っているよ。



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