スパイク・リーなどにも影響を与えたニューヨークのストリート映画
『タクシードライバー』が映画として新しかった点は、何よりも都市をとらえた映像だった。たとえば、前述の『真夜中のカーボーイ』などにもニューヨークの荒廃した風景が登場するが、中心はキャラクターで、風景は物語の背景でしかない。しかし、『タクシードライバー』は都市の風景がそのまま主人公の心情を代弁していた。
冒頭ではまるで都会を生きるモンスターのように、黄色いタクシーが暗闇から登場し、運転手の目の部分だけが大写しになる。車の料金メーターのカチカチ動く音は主人公の鼓動を思わせ、バックミラーに写る夜景は彼の心象風景に思えた。映像作家としてのスコセッシの手腕が生きていて、オールロケで街をとらえることで、夏のニューヨークの生々しい感覚が伝わってきた。
70年代のニューヨークは治安が悪く、凶悪犯罪が多発する都市として知られていた。トラヴィスのナレーションにあるように、ドラッグ中毒者や売春婦、ポンビキなどが街をたむろし、まさに一触即発の空気が漂っていたようだ。
ちなみに『タクシードライバー』が公開された76年から77年にかけてニューヨークに出没して、街を震撼させたのが、“サムの息子”と呼ばれる連続殺人鬼、デイヴィッド・バーコウィッツである。99年に彼をモチーフにした『サマー・オブ・サム』を手がけたのがスパイク・リー監督で、彼は77年に映画監督になる決意を固めたという。自身の自伝“Spike Lee”(スパイク・リー、カリーム・アフタブ著、Norton刊)の中で彼はこう振り返る――「『タクシードライバー』のように、当時のニューヨークをとらえた映画が大好きだった。そして、CBGBの時代でもあり、ニューヨーク・パンクのファンでもあった」
『サマー・オブ・サム』予告
確かにこの頃、音楽シーンではニューヨークのパンクロックが注目されていた。CBGBは73年に開業したライブハウスで、パティ・スミス、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、ブロンディ、テレヴィジョン、ジョニー・サンダース、リチャード・ヘル等、ニューヨーク・パンク系のミュージシャンが数多く出演。都市が荒廃していたからこそ、逆に破天荒なパワーを持つ新しい音楽も生まれたのだろう。
そんな当時のアナーキーな雰囲気のニューヨークのストリートから生まれたのがトラヴィスで、スパイク・リーのような未来の映画監督にも影響を与えたのだ。
スパイク・リーはスコセッシと同じニューヨーク大学の映画科に入り、監督になってからはスコセッシ製作の『クロッカーズ』(95)も手がけている(『タクシードライバー』のハーベイ・カイテルも出演)。
そんなスコセッシに大きな影響を与えたニューヨークの監督は『アメリカの影』(58)で知られるジョン・カサヴェテスで、無名時代のスコセッシは彼の映画『ミニーとモスコウィッツ』(71)に編集者として参加している。
『ミニーとモスコウィッツ』予告
アメリカには“ニューヨーク映画”の流れがあり、商業映画の監督としては『波止場』(54)のエリア・カザン、『十二人の怒れる男』(57)のシドニー・ルメット、『俺たちに明日はない』(67)のアーサー・ペン、『卒業』(67)のマイク・ニコルズ等がいて、演劇やテレビといった世界の出身者である。また、インディペンデント映画界には前述のカサヴェテスがいた。
そして、70年代以降は『アニー・ホール』(77)のウディ・アレンやスコセッシが脚光を浴び、80年代以降はスパイク・リーやジム・ジャームッシュなどが登場する。東海岸の文化の中心地だったニューヨークは西海岸のハリウッドよりも先鋭的なテイストを好み、反骨精神を持った映画人やアーティストを生み出してきた。
そんな土壌の中から生まれた『タクシー・ドライバー』は、都市の新しい表現を見せた作品として大きなインパクトを残したのだ。