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『タクシー・ドライバー』ロバート・デ・ニーロ、マーティン・スコセッシ、ポール・シュレイダーと70年代、生み出した衝撃※注!ネタバレ含みます。

(c) Getty Images

『タクシー・ドライバー』ロバート・デ・ニーロ、マーティン・スコセッシ、ポール・シュレイダーと70年代、生み出した衝撃※注!ネタバレ含みます。


現代の評価――サイコな運転手の話なのか……?



 公開からすでに40年以上が過ぎている作品ゆえ、封切時と同じようにこの作品をとらえることはできないだろう。当時はベトナム戦争が終結したばかりだったので、ベトナム後遺症の男が体験する都市の悪夢という見方ができたが、今はこうした背景が分かりにくい。また、前述のように70年代はアウトサイダー映画が支持され、アンチ権力の時代だったので、大統領候補を暗殺しようとする設定に対しても、それほど嫌悪感を抱くことはなかった。


 また、既成の価値観が崩壊した時代で、自分たちの手で何かが変えられるかもしれない、という幻想が(特に若者たちの間には)あった。だから、都市の腐敗を嫌い、自分の手で何かを変えようとして孤軍奮闘するトラヴィスの姿に不思議な共感もあったのだろう。また、暴力シーンに関しても、当時は『俺たちに明日はない』のような血なまぐさい場面に慣れていたので、それほど違和感なく受け入れることができた(そこにはベトナム戦争も影を落としていた)。


 しかし、時は流れ、当時の社会背景や映画の流れを考えず、この1本だけを見てみると、精神に異常をきたした男の物語に見えてしまうのだろうか。映画の公開から数年後の81年にジョン・ヒンクリーという男が大統領のレーガンを狙撃する事件があった。彼は『タクシー・ドライバー』が好きで、少女娼婦を演じたジョディ・フォスターのファンだったという。その後、心を病んだ犯人による不気味な事件がひんぱんに起きるようになった。今は現実に起きた凶悪犯罪を重ねて見ることで、この映画の狂気の描写が、かつてとは異なったものに見えるのかもしれない。




 また、封切時は映画の後半で描かれたことを額面通りに見ていたが、今では以前とは違った解釈も成立しているようだ。クライマックス場面で3人を殺したトラヴィスは瀕死の重傷を負う。しかし、その事件によって彼はニューヨークのヒーローとなり、憧れの存在だったベッツィとも再会する。この展開を運命の皮肉のような感覚でとらえ、(当時は)トラヴィスは何かを乗り越えた人物と解釈していた(狂気を抱えた主人公が運命の皮肉で意外なヒーローになるという展開は、スコセッシ&デ・ニーロの83年コンビ作『キング・オブ・コメディ』でも描かれる)。


 ところが、今ではトラヴィス死亡説もささやかれるようになった。ホテルを襲撃したトラヴィスは死を決意するが、弾はすでにつきている。そこでソファに座って、指を銃のようにこめかみにあてる。その時、警察が踏み込んでくる様子が上からの俯瞰カットで映し出される。新しい説では、この時、彼はすでに死んでいて、この俯瞰は肉体から抜け出したトラヴィスの魂の視点による描写だという。彼がヒーローとなり、ベッツィと再会するエピソードは彼の願望を映し出しただけで、実際に起こった出来事ではないという解釈だ。


 これに関しては04年にアメリカを代表する評論家のひとり、ロジャー・エヴァートがこんな記述を残している――「最後は幻想シーンといえるのだろうか? はっきりした答えはない。最後に描かれたことは額面通りの出来事ではなく、まるで音楽のように感情に訴える表現だからだ」。




 スコセッシ自身はトラヴィスが死んだという説には同意せず、こう語っている――「ラストの彼は再び正常を取り戻したかのように見えるが、時限爆弾はまたいつ何どき大爆発を起こすか分からない、という印象を私たちは残しておいた」(「スコセッシ・オン・スコセッシ」、フィルムアート社刊、デイヴィッド・トンプソン他編著、宮本高晴訳)。ベッツィをタクシーからおろした後、車のミラーに怖い顔をした彼のショットが一瞬だけ入る。これは消えることのない狂気や恐怖を表現しているようだ。


 スコセッシ自身はこの映画は「すごく宗教的な内容」と考えているようだ。「トラヴィスは、まさに聖パウロのように信念を持って行動している。彼は人生を洗い清めたい、精神を、浄化したいと考えているからね」(前述の本より引用)。


 実は脚本家のシュレイダーもかつては敬虔なクリスチャンで、聖職者を主人公にした『魂のゆくえ』(17)を後に監督として手掛けているが、スコセッシ自身もイタリア系のカトリック信者であり、88年にはキリストの生涯を描いた『最後の誘惑』も撮っている。『タクシー・ドライバー』の宗教的な側面に焦点をあてた見解として興味深かったのが、カナダのジャーナリスト、アンドレ・カロンが97年に「オフ・スクリーン・コム」に書いた文章だ。



 彼によれば、トラヴィスの人格は分裂していて、常にふたつの自分が闘っているという。鏡を見ながら、「You talkin’ to me?(俺に用があるのか?)」という有名なセリフをつぶやく場面があるが、これは鏡の中にいる“もうひとりの自分”への問いかけだという。最終的には、肉体(現世への欲望)と精神(モラルを重視する高潔さ)が闘い、最後の銃撃戦で彼の肉体は滅びて、精神世界が勝つ、という解釈だ(最後に車の窓に夜景が写るが、それは現世を飛び立つ彼の魂が見た風景、という解釈になっている)。こんなトラヴィスの生と死は『最後の誘惑』のキリストの姿に重なる、というのがこの書き手の主張である。


 都市の映画という観点から見ると、『ニューヨーカー』誌の伝説的な評論家、ポーリン・ケールが同誌(76年2月9日号)に書き残した文章も忘れがたい。「最後に平穏な顔をした主人公を見ると平手打ちを食らった気になる。社会のシステムに対する怒りを抱えていたはずだが、今は仕事に戻り、再び乗客を相手にしている。その心の嵐は去ったわけではなく、きっとニューヨークという街が彼よりもっと狂っているのだろう」


 改めて『タクシー・ドライバー』のことを調べてみると、その解釈の多様さに驚かされた。映画そのものは余白を残した構成になっているので、見る人にとって如何ようにも解釈できるのだろう。鏡がひんぱんに出てくる映画だが、まさに見る人の心の状態や道徳&人生観を映し出す映画かもしれない。


 シュレイダーは「ここで起きたことはすべて男の頭の中の出来事。だから、リアリスティックな映画にはなりえない」と語っているので、描かれたことはほとんど妄想や幻想である、と考えることも可能かもしれない。



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、

訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



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『タクシードライバー』

ブルーレイ発売中 ¥2,381+税

ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

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