ビートルズのいない世界
ダニー・ボイル監督は今回の映画のシナリオが送られてきた時のことを、こんな風に振り返る――「カーティスから脚本が送られてきたので、すぐに読み終えた。素晴らしい驚きや喜びでいっぱいだった。とてもシンプルな物語に思えた。ビートルズが忘れられた世界があり、一方、サフォークに住んでいて、なかなか成功できないシンガー・ソングライターがいるという設定だった」。
主人公のジャックは元教師だが、今はアルバイトをしながら、音楽活動に励んでいる。そんな彼を支えるのは、教師で、マネージャーのエリー(リリー・ジェームズ)。ふたりで小さなクラブなどをまわるが、なかなか認められない。ところが、ある時、停電が起こる(事故でジャックの体が宙を舞う時、ビートルズの曲、「 ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の有名のラスト、“ジャーン”という音が流れて笑いを誘う)。ジャックは前歯を折り、唇にケガもしていて、病院で目覚める。すると、そこは今までとは違う世界になっている(ちなみに66年にポール・マッカートニーも歯を折り、似たような状態になったことがあるという)。
『イエスタデイ』©Universal Pictures
ある時、起きたら、まるで別の世界が出現していたというこの設定。実はかつてボイルは『 28日後…』(02)でも描いていた。この時はゾンビが現れ、残酷な世界が主人公の前に出現するが、今度はビートルズがいない世界になっている(しかし、 ザ・ローリング・ストーンズの方はいるようだ)。
もっとも、すぐに主人公ジャックがそのことに気づいたわけではない。病院で寝ていて、「64歳になった時も、僕を必要としているかい?」と、ビートルズの「64歳になったら…」の歌詞を冗談っぽくつぶやくと、横にいたエリーから「どうして、64歳なの?」と言われる。そして、音楽への夢を語り、「僕としてはビートルズになりたいなんて、そんなこと考えてはいない。ただ、一度でいいからスタンディング・オベーションを受けたい」とエリーに言うと、「え? 何になりたいの?」。こうした伏線を用意し、いざ、みんなの前で「イエスタデイ」を歌ったら、友人たちは誰もこの曲を知らず、あげくのはてに、 コールド・プレイの曲と比較され、ジャックは困惑する、という展開になる。
音楽に関する“小ネタ”の重ね方がうまいが、それはもちろん、ボイルの力だけではなく、リチャード・カーティスの脚本のうまみでもある。そんなカーティスの魅力についてボイルはこう語る。「いつもリチャードのロマンスとコメディに対する扱いのうまさに本当に驚いていた。そんな彼のシナリオに今回は参加できて、本当にうれしく思っている」