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『博士の異常な愛情』シリアスドラマをブラック・コメディへと変貌させたキューブリックの革新性

『博士の異常な愛情』シリアスドラマをブラック・コメディへと変貌させたキューブリックの革新性

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シリアスドラマをブラック・コメディへと変換させるという発想



 手元にある「 映画監督スタンリー・キューブリック」(ヴィンセント・ロブロット著/晶文社/2004)という書籍によると、キューブリックが核戦争に興味を持ち始めたのは1958年ごろ。彼はいつ訪れるとも知れない最悪の事態について思いをめぐらせ、とりわけ住まいのあったニューヨークが標的となることに恐怖を抱いていたという。


 当時、世間にこのようなパラノイアが広がっていたのはよく聞く話だが、キューブリックが常人と異なるのは、数多くの書籍や研究報告書を読み漁り理解を深めながら、これを「映画の企画」へと発展させていったことだ。その過程で手にしたのがピーター・ジョージ著「破滅への二時間」という小説だった。


 主なプロットは、超大国どうしが核を突きつけ合う中で偶発的な事件が起こり、全世界が滅亡の危機に瀕するというものである。最初はここに書かれたシリアスなドラマをそのまま映画化する予定だった。しかし脚本を練り始めたキューブリックに、すぐさま運命の瞬間が訪れる。「物語をブラック・コメディにする」という革新的なアイディアが頭を貫いたのだ。




 前述の書籍では、この革新的な方向転換に関してキューブリックの以下のような発言が紹介されている。「そもそも二つの超大国の事故が原因で全人類が滅亡することほどばかばかしいものはない。二国家間の政治的違いなど、私たちが中世の神学論争に意味を見出さないのと同じように、100年後の人々にとっては何の意味も持たない」


 「そこで僕は、テーマへのアプローチを間違えているのだと気付いた。ブラックコメディーか、ナイトメア・コメディーにすることがベストだとわかった。つまり私たちが失笑してしまうもの、それが核戦争を進めていくという逆説的な仕組みのナイトメア・コメディーだ」(いずれも「映画監督スタンリー・キューブリック」P.191より引用)


 繰り返しになるが、当時は核への脅威や国際的な緊張感が最高レベルにまで高まっている頃である。ただでさえ不謹慎な内容として見送られてしまいそうな企画にもかかわらず、さらに輪をかけてコメディを貫き通すなんて尋常ではない。こんなことを成し遂げられる人間はゼロに近い。だが、キューブリックにはそれができた。




 思えば、『 2001年宇宙の旅』(68)『 時計じかけのオレンジ』(71)『 シャイニング』(80)などを引き合いに出すまでもなく、キューブリックの遺した作品はどれも、物事を別の次元から見つめたかのような常人離れした視点と才覚を感じるものばかり。だからこそ一向に色褪せない。何気なく読み飛ばしてしまいそうだが、彼は本気で「100年後の人々」に向けて映画を作っていたのかもしれない。


 なお、このシリアスな題材を風刺的で不条理的な喜劇へと転換させるにあたっては、のちに『 イージー・ライダー』(69)や「 サタデー・ナイト・ライブ」でも名をはせる脚本家テリー・サザーンが大きな力を発揮した。さらに撮影現場では一人三役をこなしたピーター・セラーズの驚異的なアドリブなどによってもコメディとしての命が吹き込まれていったという。



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