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演技も物語も動き続ける――『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』が導く、虚空の「二人芝居」

演技も物語も動き続ける――『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』が導く、虚空の「二人芝居」

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回想中も物語が進行する「バックグラウンド方式」



 ではここからは、肝心の物語と映像表現についてご紹介したい。物語はいたってシンプルで、気球に乗った2人が空へと上昇するだけだ。ただここに、「リアルタイム性」と「回想シーン」が加わり、物語が進むにつれて人物が肉付けされ、ストーリーの強度が増していく構成になっている。


 物語が始まった時点では、観客にジェームズとアメリアの人となりは詳しく紹介されない。興味深いのは、フライトの中で「学界でつまはじきにあっている」「過去のフライトで夫を亡くした」という2人が抱える苦悩やトラウマが明かされていく点だ。つまり、地上にいる時点では物語も「ゼロ地点」だが、上空に行くにしたがって濃度が上がっていくということ。構造としては「回想」になるため時間の流れは遡るのだが、その間もバックグラウンドで気球は上空へと進んでいく。




 よくある回想形式では、回想中は劇中の時間が止まっているものだが、本作では劇中の時間と実時間ができる限りリンクするように設計されている。回想中も現在進行形で物語は動き続けるのだ。さらに「高度何メートル、何分経過」のようにテロップも入るため、「体感」としてリアルタイムの気球旅行(というにはあまりに過酷だが)を味わえる。


 リアルタイムに進行する作品でいえばメジャーなのは『24-TWENTY FOUR-』だが、『ゼロ・グラビティ』もまたリアルタイム性を強く感じさせる1本。ノーラン監督の『ダンケルク』(17)は陸・海・空という3つの場所でのリアルタイム性をミックスさせ、トリッキーな緊迫感を演出している。その最たる例が、全編ワンカットをうたう『1917 命をかけた伝令』(19)だ。こちらでは、遠方の味方に作戦中止の命令を伝えるためにひた走る兵士の姿が描かれる。こうして観ていくと、「臨場感」の創出にリアルタイム性は不可欠な要素といっていい。本作もその流れに倣い、丁寧に「時間」と「空間」を演出している。


 ここで悩ましいのは、キャラクターの掘り下げをじっくり行うと、リアルタイム性は薄れてしまうということ。『ダンケルク』にしろ『1917 命をかけた伝令』にしろ、必要以上に人となりは描かない(そこが実にリアルなのだが)。ただ本作は勇気をもって回想シーンを点在させ、その前後にスペクタクルシーンを装着しつつ、テロップを入れることで「二重の時間の流れ」を生み出している。それが、先ほど述べた「バックグラウンド進行」だ。




 ひと時も休まることのない、気球の布がはためく音や金具が鳴る音、風の音といった音響演出も非常に重要。これが観客の脳内に刷り込まれることによって、回想シーンであっても体感は「現在進行形」という奇跡的なバランスをものにしている。


 また、ここで大きな意味を発揮してくるのが、気球の構造。空に高く昇るためには、できるだけ機体を軽くしなければならない。2人は捨てられるものを捨て、余計なものを削いでいくが、これは物理的な問題だけでなく、人物描写とも密接にかかわっていく。ジェームズとアメリアが互いのわだかまりを解消し、プライドや隠し事を捨て、理解を深めていくことで物語的にも「感情の高み」へと昇っていくことが可能になる。


 ちなみに帰りは逆で、2人は絆をより深め、関係性を強くせねばならない。成長した結びつきが、地上に向かわせる“錨(いかり)”となるのだ。この視覚的=身体的なミッションと精神的なミッションのインタラクティブ性――つまり、実時間と劇中時間、さらに物語の融合は、『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』の歯車として機能している。



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