製作から50周年、今も色あせないパワフルな傑作
この映画は2019年に公開から50周年を迎え、シュレンシンジャーの母国、イギリスでは4K版が公開されて、再び話題を呼んでいた。英国の新聞、<ガーディアン>(19年9月12月号)にはこんな評も掲載されている。
「シュレシンジャーのカメラは普通のハリウッド映画ではほとんど描かれることのない“貧しい”場所を見つめている(中略)そして、英国人である彼は“キッチンシンク”的なリアリズムをこの映画の持ち込んだ」
“キッチンシンク”という言葉は、60年代のイギリス映画ではよく使われていた。この時代、『土曜の夜と日曜の朝』(60)のように台所が出てくるワーキング・クラスの映画が登場して、新しい映画の流れを作っていったが、その庶民的なリアルさゆえに“キッチンシンク・ドラマ”と呼ばれた(ケン・ローチなどの映画にも流れが受け継がれている)。
シュレシンジャーもこの時代に出てきた監督ゆえ、そんなリアルな感覚を映画に持ち込むことで、底辺で生きる人々の過酷な生活感を見る人に体感させようと思ったのだろう。
ロマン・ポランスキー監督の推薦で、この映画に参加することになったポーランド出身の撮影監督のアダム・ホレンダーはリアルなニューヨークの感覚を伝えるため、カメラやオペレーターが入る箱を路上に用意した。レンズが少しだけ見えたが、通行人に気づかれずにストリートの生の風景を撮ることができた(撮影中は誰もヴォイトやホフマンに気づかなかった。エキストラも使わず、通行人をそのまま生かしたという)。彼は撮影に関してこう振り返っている――「監督も私も、よそ者としてニューヨークを新鮮な視点でとらえたかった。当時の都市のリアルな感じを映像に収めたかった。徹底的にリアリティにこだわった作品をめざしていたんだ」(“Little White Lies”のサイト、18年5月27日号より)その後、ホレンダーは『スモーク』(95)でもニューヨークのストリートの風景をカメラに収めている。
『真夜中のカーボーイ』(c)Photofest / Getty Images
途中で主人公たちが参加するアーティストのパーティ場面は、当時、アート界のスターだったアンディ・ウォーホールのロフトを意識した作りになっていて、ヴィヴァのようにウォーホール一家のスターも顔を見せている(本当はウォーホールも出演予定だったが、銃で撃たれ、出られなくなった)。このパーティ場面で金持ちの女性(ブレンダ・ヴァッカロ)と知り合い、初めてジョーは男娼として大金を手に入れる。ドラッグ、酒、セックスと何でもありのワイルドなパーティはこの時代らしい記録となっている。
原作の中で主人公のジョーは、何度も鏡を見て自分に話かける。彼は現実と幻想が混在する世界を通じて、大人になっていくが、この映画にも、そんな原作のタッチは残されている。リアルな貧困の描写と同時にサイケデリックの時代らしい幻想的な映像も登場することで、より広がりのある映画になっている。また、外国人監督のシュレシンジャーが主人公たちの苦境をまっすぐ見つめることで、アメリカの大都市の疎外感や孤独の描写がより鋭いものにもなっている。
同性愛や男の売春の生々しい描写も出てくるが、こうした場面を削れば、成人指定にしない、といわれたにもかかわらず、製作者や監督たちは拒否してこの作品を作り上げた。思えば、69年には『イージー・ライダー』や『ワイルドバンチ』のように、既成の価値観を変え、その後も語り継がれるいくつかの傑作も生まれている。
『ワイルドバンチ』予告
挑戦や変革に大きな意味があった時代。そんな空気の中でこの作品も生まれた。シュレシンジャー監督は03年に亡くなったが、94年にこんな言葉を残している――「今ならけっして撮ることができない映画だ。ニューヨークにカーボーイのかっこうをした男が行き、金持ちの女たちと出会って儲けたいと考えている。彼は体が不自由な男と出会い、最後に男のズボンが汚れる。こんな企画を、今出したらどうなるだろう、とある重役に話したら、きっぱり言われたよ。そんな企画、絶対にお断りだ」(“Vanity Fair”00年4月号より)
『真夜中のカーボーイ』は時代の変革期だからこそ実現したリスキーな企画だった。そして、けっして妥協しない製作陣や俳優たちの力が重なることで、時代を超え、人々の心に残り続ける映画となったのだ。
文:大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
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