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『デューン/砂の惑星』スタジオに翻弄された、デヴィッド・リンチ唯一無二のSF
自ら招いた不運
ホドロフスキーの企画が消滅したあと、期せずして3度目のチャンスが巡ってきたのは、『デュエリスト/決闘者』(77)で華々しいデビューを飾ったばかりのリドリー・スコット監督だった。製作には1年ほど取り組んでいたが、ある段階で兄の急死という不幸に見舞われ、プロジェクトから早々と降板している(余談だが、スコット監督はその後、ホドロフスキーの企画に関わったH・R・ギーガー、ダン・オバノンらと組み、名作『エイリアン』を完成させている)。
さて、スコット監督の降板によって、再び計画は宙に浮いた。その頃、『エレファント・マン』の成功でメジャー作家として認められたデヴィッド・リンチには、多くの依頼が舞い込んでいた。そのうちのひとつには、ジョージ・ルーカスから『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』(83)の監督オファーもあったようだが、リンチ監督はそれをきっぱりと断っているのである。
『デューン/砂の惑星』(C) 1984 DINO DE LAURENTIIS COMMUNICATIONS. ALL RIGHTS RESERVED.
そんなときにディノ・デ・ラウレンティスは――多くの映画プロデューサーと同じように――デヴィッド・リンチに監督を依頼した。『スター・ウォーズ』の監督依頼を蹴ってまで、『デューン/砂の惑星』に興味を示した理由は定かではないが、いずれにせよ、さまざまな映画作家が試みては失敗に終わったこの企画を、リンチは不運にも引き受けてしまったのである。
結果として、デヴィッド・リンチ監督は、そのあまりにも長大すぎる原作小説と、金に糸目を付けないハリウッドの資本主義的な圧制によって、映画作家として初の失敗を味わうことになる。『イレイザーヘッド』(77)での衝撃的デビューから『エレファント・マン』での大成功まで、万事順調の映画人生の中で、初の苦難に直面するとは。