そして、愛に満ちた終幕へ
驚くべきことに石岡も、その他のスタッフもキャストも、本作に関わった人のギャラはみんな均等だったそうだ。いわば皆が手弁当感覚で参加した、究極の自主映画。雇われる条件が同じであるがゆえに、皆の結束感は逆に強まり、誰もが進んで映画のために身を捧げあったという。
かつてターセムがひとつの愛を喪ったのをきっかけに生まれた本作は、いつの間にか、信頼と愛をいっぱいにみなぎらせた映画と化していた。それがクライマックスにおいて、1910〜20年代のチャップリンやキートン、その陰に隠れたスタント・ヒーローたちへのラブレターに昇華されていく様も涙なしでは語れない。
『落下の王国』(c)Photofest / Getty Images
このラストシークエンスのナレーションは、撮影から何年か経った少女があてたものだ。映像を見て感じたことを即興で喋ってもらったのだという。これがあまりに見事で、彼女の成長ぶりも頼もしく、なんだか泣けてくるほど面白い。そこから最後に暗転する間際、たまらず吹き出すターセムの声がかすかに聞こえる。落下してどん底にいた彼が本作を通じて救われ、今ではすっかり笑顔を取り戻している————これほど象徴的な瞬間が他にあるだろうか。
様々な苦難をくぐり抜けて完成したこの映画には、人々の悲しみを笑顔に、苦しみを喜びへと変える力が、本当に宿っているのかもしれない。
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
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