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虚構の文脈で、現実を斬る――『新聞記者』が社会派映画にもたらした「若き感性」

(C)2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

虚構の文脈で、現実を斬る――『新聞記者』が社会派映画にもたらした「若き感性」

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「ここまで描ける」という「先例」の樹立



『新聞記者』の何が、鮮烈だったのか? その一つは、社会性・同時代性・娯楽性を融合させた点にあるだろう。


 社会性に振り切った作品(ドキュメンタリーを含む)であれば、描くのは真実のみで済むが、著名俳優を起用したフィクションにするとなると、制約も多い。仮に製作委員会方式を取ったりすれば、資金は得られるが、しがらみは増える。世界情勢を鑑みて、『空母いぶき』(19)のように改変を迫られる局面も出てくるだろう。


 『新聞記者』はそのような状況下で生まれた作品ながら、いやそうした作品であるがゆえに、製作陣の苦心を感じられるバランス感覚が、絶妙だ。「伝えたいこと」「描きたいこと」「今できること」の限界を見極めながらも、娯楽作として崩壊することがないように、神経を張り詰めて作られたことが分かる。想像するだけでもいばらの道だが、そもそも、こうしたタイプの作品自体が、国内では少ないようにも思う。



『新聞記者』(C)2019『新聞記者』フィルムパートナーズ


 日本の社会派エンタメ作品といえば、近年では『シン・ゴジラ』(16)や『Fukushima50』(20)だろうか。前者はエッセンスとして「3.11」を含ませつつ、「ゴジラが現在の東京に現れたら、政府はどう対応するのか?」を描いている。後者は、東日本大震災発生時、福島第一原子力発電所の職員たちがとった勇気ある行動をたたえる物語だ。だが、例えば『万引き家族』(18)を入れたとしてもやはり、欧米諸国と比べると本数は少ない。


 では逆に、近年の海外の社会派作品を観てみよう。


 Apple TV+で配信中のドラマ『ザ・モーニングショー』をご存じだろうか? 『ディープ・インパクト』(98)のミミ・レダーが監督し、ジェニファー・アニストン、スティーヴ・カレル、リース・ウィザースプーンが共演。こちらでは、セクハラで訴えられたニュース番組の司会者が降板し、「俺はワインスタインとは違う! 合意の上だ」と絶叫するシーンがあるほか、「MeToo」を使った辛辣なジョークも登場する。


 こちらも報道番組の裏にあったセクハラ騒動を実写化した映画『スキャンダル』(19)では、マーゴット・ロビー演じる新人キャスターが被害に遭い、声を震わせて泣くシーンが観られる。権力を盾にされたとき、女性たちがいかに弱い立場だったのか、切々と訴える力作だ。


『スキャンダル』予告編


 ジャーナリストを描いたのは、『スポットライト 世紀のスクープ』(15)だろうか。こちらでは、カトリック司祭による性的虐待事件の実態を暴く衝撃的なストーリーが展開する。戦争の真実を政府が隠ぺいしていた事件に迫る『ペンタゴン・ペーパーズ』(17)、オサマ・ビンラディン暗殺の舞台裏を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)、CIAの拷問の事実を白日の下にさらす『ザ・レポート』(19)など……実話ベースの社会派サスペンスは数多い。韓国であれば、『タクシー運転手 約束は海を越えて』(17)から『国家が破産する日』(18)まで、優れた社会派作品が多数揃っている。


 これらの作品がそうであるように、欧米(韓国も同様)では、現在進行形または直近の社会問題をメジャー級のスタッフ・キャストで映像化する流れが出来上がっている(もちろん、全ての企画がすんなりいくわけではないが)。ただ、日本で現状、その枠組みを作ることがなかなか難しいのもまた事実。表現の壁があるのかもしれないし、資金を得にくいのかもしれないし、観客がついてこないからかもしれない。恐らく、単純な理由ではないのだろう。


 ただ、だからこそ『新聞記者』はこの国に希望をもたらした作品なのだ。「ここまでは描けた。ここから先は、次の作り手たちの出番だ」と。本作は、当代と次代に向けて「先例」を打ち立てたといえよう。


 今年、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(19)が外国語映画で初めてアカデミー賞作品賞に輝いたとき、SNS上で「日本映画」がトレンド入りした。「トレンド入り」とは所定のワードが一定時間に多数投稿された結果起こるものだが、投稿されたのは、必ずしも好意的なつぶやきばかりではなかった。「日本映画も頑張ろう!」と奮起する声を覆いつくす、「日本映画はダメ」というネガティブな声の数々。


『宮本から君へ』予告編


 ここで言われている「日本映画」が何を指すのかは判然としないが、「そんなことはない」とだけは伝えたい。例えば表現の過激度であれば『宮本から君へ』、社会性であれば『新聞記者』と、多くの作品が育っている(どちらも製作・配給はスターサンズが中心だ)。


 前者は真利子哲也、後者は藤井道人と、80年代生まれの若手が気を吐いているのが何とも頼もしい(しかもちゃんとエンタメの座組に乗せている)。池松壮亮や蒼井優、松坂桃李やシム・ウンギョン、本田翼、といった若い世代が、リスクをものともせず出演した気骨もまた、明るい材料といえよう。『新聞記者』で新たな魅力を開拓した松坂は「作品に対していろんな意見や見方が出てくるとしても、自分はとにかく役をしっかり生きてみようと。そこに迷いはなかった」と頼もしい言葉を残している。


 国産の映画に対して、文化的な未成熟度、クオリティに対する批判等々多くの意見はあろうが、映画というのはとどのつまり興業であるため、観客がどう支えるか(援助するか)によって、その“質”は大きく変化する。新型コロナウイルスの蔓延で、“芸術力”が大いに削がれている現状。今後の日本映画の土壌を豊かにしていくのは、我々観客次第であるということを、不肖ながら付け加えさせていただければ幸いだ。



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