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『フィールド・オブ・ドリームス』人生の挫折と痛みを癒す、野球への愛

(c)Photofest / Getty Images

『フィールド・オブ・ドリームス』人生の挫折と痛みを癒す、野球への愛

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テレンス・マンはJ.D.サリンジャー



 ジェームズ・アール・ジョーンズが演じる作家テレンス・マン。原作では実在の小説家J.D.サリンジャーがその役割を果たしている。実際にサリンジャーは世間から姿を消して隠居生活を送っていたため、映画化の際には自身の登場を認めず、設定が変えられたという経緯がある。


 劇中、レイはテレンス・マンをフェンウェイ・パークへ誘い出すのだが、彼はその理由を「キンセラの名前が、あなたの小説に中に出てきた」と説明している。実はサリンジャーの短編小説「ウエストのない1941年の若い娘(A Young Girl in 1941 with No Waist at All)」に登場する青年の名前がレイ・キンセラで、「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールドの級友の名前もキンセラだという奇縁がある。小説では、これを“兆し”として、レイがサリンジャーに会いにいくという設定になっているのだ。



『フィールド・オブ・ドリームス』(C) 1989 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.


 そして、「人生は難しく、そして死にゆくものだ」というW.P.キンセラの言葉は、偶然にもこの映画のあるキャストに対して当てはまるものだった。


 レイの父親ジョン・キンセラを演じたドワイヤー・ブラウンは、撮影直前に父親の死を知らされた。葬儀から直接ロケ地であるアイオワへと向かったブラウンは、道中、在りし日の父親の姿を思い出していた。それは『フィールド・オブ・ドリームス』で描かれている父子の関係を想起させるに十分だったが、悲しみという感情があまりにもリアルで、役を演じるという建前であっても撮影に挑むのが困難な状態だったという。だが結果的に、レイとジョンの親子関係を演じるためのアプローチになっただけでなく、演出の面でも自身の境遇が作品へ影響を与えることになったと述懐している。そう思いながら父子の邂逅場面を観直すと、胸を締め付けられるものがある。


 さらに、こんな逸話もある。『フィールド・オブ・ドリームス』の13年後、フィル・アルデン・ロビンソン監督は、ベン・アフレックがジャック・ライアン役を演じた『トータル・フィアーズ』(02)を監督することになった。対面の場でロビンソン監督は、アフレックから「“また”お会いできて嬉しいです」と挨拶をされたのだという。これが初めての仕事であるはずなのに、どうしてベン・アフレックは「また」と言ったのか?その言葉尻が気になったロビンソン監督は「“また”とは、どういう意味ですか」とアフレックに尋ねた。先述のフェンウェイ・パークでテレンス・マンとレイが野球観戦する場面。実は観衆の中に、まだデビュー前のマット・デイモンとベン・アフレックがエキストラとして参加していたのだった。



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