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『許されざる者』アメリカの神話=西部劇の虚飾を剥がしたイーストウッドのメッセージ
西部劇というアメリカンスピリットの虚飾
西部劇の本格的な始まりは、1903年の『大列車強盗』とされ、20世紀半ばまで、ハリウッドのドル箱ジャンルだった。『OK牧場の決斗』(57)『リオ・ブラボー』(59)など、傑作をあげればきりがないが、その多くは勧善懲悪であり、良いガンマンが、悪党どもを懲らしめ、そこに美女とのロマンスも絡む、娯楽路線が基本だった。
男たちが銃の腕前と義侠心を頼りに、未開の西部を駆け巡る。開拓者魂、チャンレンジスピリットといったアメリカが国是としてきた価値観を体現する西部劇は、まさに「アメリカの神話」だった。そして何百と言う同工異曲の作品の中で、その精神性は称揚されてきた。「自助」、「独立」、「自由」という精神性を繰り返し反芻することで、「開拓者」としてのアメリカ人のアイデンティティを担保し、精神安定剤的な役割を担ってきたとも言える。
しかし、それは捏造された嘘だ、現代では通用しない、そう宣言するかのように『許されざる者』は西部劇の神話性を否定してみせた。それは西部劇の陰惨な暴力性を直截に表現したことだ。暴力の連鎖こそ『許されざる者』のメインテーマだ。
『許されざる者』(c)2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
ある日、ビッグ・ウィスキーという街の娼館にやってきた牧童の1人が些細なことで激高し、娼婦の顔にナイフで酷い傷を負わせる。娼婦たちはその牧童に懸賞金をかけ賞金稼ぎに殺させようとする。イーストウッド演じるマニーは子供たちとの生活のために、牧童を殺すため、仲間とビッグ・ウィスキーに向かう。
ひとつの暴力がまた新たな暴力を招来することでストーリーが運ばれていく。この映画では登場人物は皆、自分勝手な理由で暴力を行使するが、そのことに疑問を感じるものはいない。
中でも、強烈な印象を残すのが、ジーン・ハックマン演じる保安官リトルビルだ(ハックマンはアカデミー助演男優賞を受賞)。
リトルビルは数々の街で保安官を務めた腕利きで、無法者には容赦しない。賞金稼ぎが街に現れれば、見せしめにいきなり銃を取り上げ、立ち上がれなくなるまで殴りつけ足蹴にする。マニーもその餌食になってしまう。
リトルビルは「治安のため」という名目で暴力を行使するが、暴力そのものを楽しんでいる風さえある。彼はサディストなのだ。この恐ろしい保安官の造形には、ある実際の事件が影響していた。