アクションシーンにもにじむ“ドラマ性”
『レオン』の“両翼”はレオンとマチルダという2人のキャラクターが織り成すメロドラマと言えるが、前述したように視覚的な「キャラの魅せ方」が秀逸だ。そこに、「あえて淡々としたトーンで話すことで、マチルダに会話の主導権を与え、かつレオンが根は善良で紳士的な男だと示す」というような演技プランを持ち込んだジャン・レノや、本作が映画デビュー作とは思えぬ驚異的な熱演を披露したナタリー・ポートマン、キレたキャラを憑依させたゲイリー・オールドマンの怪演が組み合わさり、「演出」と「演技」のどちらかが浮くことのない、完璧なバランスを構築している。
では、翼のもう1つである「アクション」においてはどうだろう? ここも、リュック・ベッソンの卓越した映像センスが光る。
たとえば現代アクション映画では主流となった、拳銃を持った手だけを映した主観映像(POV)が序盤で挿入されており、後半でも撃たれた人物が横たわるシーンで、あえて撃たれた瞬間を映さず、主観映像のカメラが揺れて崩れる、という動きで表現している。観客に”想像”させる、小粋な演出が行き届いているのだ。
その他、警官隊の襲撃を受けたレオンが、天井からぶら下がって2丁拳銃をぶっ放すスタイリッシュなシーン、スプリンクラーを作動させて、追手の目をくらますシーン、土煙の中でスナイパーのレーザーポインターが浮かび上がるシーンなど、ドラマティックな演出が多々。拳闘シーンなどはほぼない代わりに、画的に“強い”シーンを立て続けに放ち、観客の目と心を引き付ける。
「メロドラマ」にしても「アクション」にしても共通しているのは、そこに濃厚な“ドラマ性”が込められていること。それを象徴しているシーンやアイテムを、3つご紹介しよう。
まずは、本作のもう1人のキャラクターと言ってもいい観葉植物。レオンの“物言わぬ友人”であり、「いつかはどこかに根を張りたい」という彼の内なる望みの象徴でもある。この存在を何度も観客の目に焼き付けてから、マチルダによって本願が遂げられるという流れは、誠に流麗だ。このシーンでのスティングの主題歌「Shape Of My Heart」の“入り”の早さも特徴的で、観る者の感情を存分に盛り上げる。
スティング「Shape Of My Heart」
2つ目は、「リングトリック」。手りゅう弾のピンを抜くことをレオンが洒落てこう呼んでいるのだが、ここに「リング=指輪」というイメージが重なることで、より切なさが引き立つ。ふたりの年齢差や殺し屋稼業と一般人というハードルもあるため、レオンとマチルダは一定の距離を保ち続けるのだが(脚本から映画化に至る過程で、最も細かく調整されたポイントの1つといえるだろう)、レオンが握りしめるピンは、マチルダへの愛の象徴とも読み解けるのではないか。
最後は、冒頭と末尾の「ニューヨークの映し方」だ。本作はニューヨークの都市部に「入っていく」空撮から始まり、ニューヨークの都市部を「眺める」ショットで終わる。始まりと終わりで、登場人物の立っている場所が異なるということを視覚的に表現した、セリフ以上に雄弁でドラマティックなシーンだ。
『レオン』は、脚本の構成自体は非常にシンプルであり、ほとんどのシーンを殺し屋と少女の「日常」に割いている。それでも強く心を揺さぶられてしまうのは、どのシーンにも豊饒な“想い”が込められているからだろう。
参考資料
https://www.boxofficemojo.com/year/1994/?ref_=bo_yl_table_27
https://www.boxofficemojo.com/weekend/1994W46/?ref_=bo_rl_table_1
https://www.the-numbers.com/movie/Leon#tab=summary
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」 「シネマカフェ」 「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。Twitter「syocinema」
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