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『キャット・ピープル』ポール・シュレイダーが熱望した海外アーティストとのコラボレーション

(C) 1982 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.

『キャット・ピープル』ポール・シュレイダーが熱望した海外アーティストとのコラボレーション

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ヨーロッパと日本びいきのポール・シュレイダー



 映画の舞台はアメリカのニューオリンズ。フランス領の時代や、メキシコ湾やカリブ海に近い立地もあって、多様な民族が暮らす非アメリカ的な場所である。主演のナスターシャ・キンスキーはドイツ出身でロシアの血も受け継いでおり、生粋のアメリカ人には無いエキゾチックな魅力に満ちていた。共演のイギリス人俳優マルコム・マクダウェルの怪演、イタリア人作曲家のジョルジオモロダーのスコア、主題歌にデビッド・ボウイの起用など、映画全体に漂う多国籍感、ヨーロッパ的な雰囲気の醸造こそ、ポール・シュレイダーの最大の狙いであった。


 ポール・シュレイダーは生粋のアメリカ人だが、ベルトルッチやロベール・ブレッソン、小津から大きな影響を受けていること、そしてカズオイシグロとも親交があることを明言している。なぜそのような一風変わったパーソナリティになったのだろうか。その鍵は、家庭環境にあった。


『キャット・ピープル』(C) 1982 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.


 両親ともにキリスト教のカルヴァン主義という非常に厳格な一家で育ったポールは、兄と共に17歳まで映画を見ずに育ったという。しかし成長し、社会の波に飲みこまれていく中で、徐々に一般の感覚を取り戻していく。


 自分が今まで信じてきた宗教的価値観が崩壊していき、俗世間の人間の営みに触れ、社会に対する独特の批判的精神が育まれていった。言わば、日常がカルチャーショックの連続だった。そこで偶然映画の存在を知り、アイデンティティに悩める青年は自己を投影できる映画の世界に一気にのめり込んでいく。当時映画批評家ですでに有名であったポーリン・ケイルに師事し、UCLAの映画学科に進学。そこですっかりシネフィルとして邁進し、先に挙げたヨーロッパと日本の作家たちに心酔していく。


 また、兄の存在も大きかった。兄のレナード・シュレイダーも同じく、親の躾に反抗し、映画の世界に飛び込んでいく。大学卒業後は5年間も日本で講師をしており、そこで任侠の世界に興味を持ち、弟と共同で『 ザ・ヤクザ』(74)の脚本を書くことになる。


 ポール・シュレイダーはまずは批評家として映画に関わり、その後脚本家として活躍、ついに監督としてデビューする。その間も、社会に生きる自分の立場の曖昧さに向き合い、以降のポール・シュレイダー監督脚本作には共通して、宗教的な精神の崇高さと俗世間の狭間で葛藤する主人公たちが登場していく。実はそれこそ、自分自身を投影した姿なのである。


 そして、イタリア人のフェルディナンド・スカルフィオッティと組んだあと、日本文化や文学への強い興味のもと、『 Mishima – A Life in Four Chapters』で日本人の石岡瑛子と組むことになる。




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