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『トキワ荘の青春』伝説のアパートを舞台に描く若き漫画家たちの光と影(前編・企画編)

©1995/2020 Culture Entertainment Co., Ltd 

『トキワ荘の青春』伝説のアパートを舞台に描く若き漫画家たちの光と影(前編・企画編)

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気鋭のCM出身監督はトキワ荘に何を見たか?



 今ではCM畑出身の映画監督は珍しくないが、「禁煙パイポ」「タンスにゴン」などの奇抜なCMを手がけてきた市川準が『BU・SU』(87)で映画監督デビューを飾った当時は、単発的に映画に挑む監督はいても、大林宣彦監督のように有名なCM監督が商業映画の監督へと転身し、継続して撮り続ける例はほとんどなかった。『BU・SU』も当初は大林にオファーされていたという。


 市川は以降も、『会社物語 MEMORIES OF YOU』(88)、『ノーライフキング』(89)、『つぐみ』(90)などの話題作を相次いで監督し、映画とCMを程よく行き来する存在だった。意表を突くCMとは異なり、映画は作を追うごとに静謐さを増していったが、1990年代に入ると、そのスタイルは固定し始めた。『病院で死ぬということ』(93)はフィックスのロングショットが多用され、続く『東京兄妹』(95)も同様のスタイルの小品だった。狂乱のバブルで古くから残る建物が根こそぎ失われ、その後のバブル崩壊は、地上げの後の空き地が残るだけの虚無的な都市を生み出した。そこから目を背けるように、市川はかつての東京の残り香を追いかけ始めた。



 『トキワ荘の青春』は、こうした市川の〈東京映画〉の中に位置している。フィルモグラフィの多くが持ち込まれた企画である市川にとっては、珍しく自らが企画したものだったが、実はとりたてて漫画にもトキワ荘にも思い入れはなかった。『東京兄妹』で荒川線沿線の風景を多く劇中に取り入れ、鬼子母神前から大塚にかけて撮影を行っていたことから、雑司が谷のアパートを見ているうちに、「アパートの映画が無性に撮りたくなって」(『東京人』95年3月号)、トキワ荘の存在を思い出したという。偶然だが、雑司が谷には手塚治虫がトキワ荘を出たあとに転居した並木ハウスが現存しており、その静かな町並みと共に、トキワ荘の時代の空気を伝えてくれる。


 こうしたきっかけからも分かるが、本作に『まんが道』のような新人漫画家の青春奮戦記を期待すると、肩すかしを食らうことになる。というのも、多彩なエピソードが残されているトキワ荘の物語はドラマ作りに不足はないものの、逆に言うと焦点を絞りにくく、それこそ「銀河テレビ小説」で放送された『まんが道』のような連続ドラマ形式か、各部屋の住人を各回の主人公にして描くような構成でないと描ききれない。つまりは2時間の映画に凝縮するのが難しいのである。その点は市川自身も、「すでにテレビドラマでも描かれているし、あまり題材的に新鮮ではない」(前掲)と認識していた。映画にするならば、独自の視点を見つけなければならない。


 では、市川が映画化するために洗い直したトキワ荘の物語を、できるだけ事実に即して見てみよう。市川がそこから何を発見し、どんな視点で作ろうとしたかが見えてくるはずだ。




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