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『るろうに剣心 最終章 The Final』心情描写なくして、アクションは映えず――作品を貫く、“生身の熱”

©和月伸宏/集英社 ©2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning 」製作委員会

『るろうに剣心 最終章 The Final』心情描写なくして、アクションは映えず――作品を貫く、“生身の熱”

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観客を引きずり込む、大友監督の「足し算の演出」



 そうした要素を持った「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」を実写映画化するにあたって、白羽の矢が立ったのが大友啓史監督。ドキュメンタリー出身の彼は、NHK大河ドラマ『龍馬伝』(10)やドラマ&映画『ハゲタカ』(07~09)、近年の『影裏』(19)に至るまで、エモーションに重きを置いた作品を作り続けている。


 トークイベントやインタビュー等で「役者のこれまでにない表情を引き出したい」と語っている通り、彼が撮る作品は総じて熱量が高く、役者の演技の切り取り方だけでなく、物語の組み上げ方、画面に映る風景や美術、衣装に小道具、編集に至るまで、すべてが“連動”している。あるひとつのテーマ……エモーションを導き出すために、全てのピースに全力疾走を促すスタイルといえるだろう。


 たとえば大友監督が手掛けた映画史上、最も“静”の物語といっていい『影裏』でさえ、静謐な画面の奥には慟哭に似た感情が染み込ませてある。ある時は苔、ザクロや蛇、流れる川といったように、風景が登場人物の心情を代弁している部分もあれば、演技巧者の綾野剛(『るろうに剣心』でも大友監督と組んでいる)が見せる、表面上は“静”だが内面は“動”というハイレベルな演技にも、そうした美学が垣間見える。


 エモーションがモーションを導く、その際に発生するエネルギー(熱量)は、“衝動”といってもいい。そのため、大友監督の作品には虚構であっても、生々しさに似たリアリティが付きまとう。『ミュージアム』(16)や『3月のライオン』(17)、『秘密 THE TOP SECRET』(16)は『るろうに剣心』と同じく漫画原作だが、フィクショナルな世界観であっても、その中にいる人々には“業”や“欲動”が渦巻いているのだ。



『るろうに剣心 最終章 The Final』©和月伸宏/集英社 ©2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning 」製作委員会


 そして、大友監督はその泥臭さを隠さない。いわゆる娯楽作でやりがちな観やすくするための「引き算の調整」ではなく、観客を強引に引きずり込む「足し算の調整」で大作を作り上げているのが興味深い。要は、大友監督の作品には日和見主義な“抜き”がないのだ。常にフルスロットルで、真剣勝負を挑んでくる。だから観る側も、真剣に向き合わねば太刀打ちできなくなる。この辺りも、「エモーション」という信条が関係しているのだろう。


 たとえば『るろうに剣心 最終章 The Final』では、剣心と縁の横顔がクロスフェードするシーンが見られる。この一種漫画的・アニメ的な演出は、一つ間違えてしまえば観客を冷めさせてしまうものにもなりかねないが、圧倒的な熱量がそこにあるため、むしろカタルシスをもたらしている。雨の中で佇む剣心を映し出したシーンも、ある種キメキメな画面構成だが、シズル感が絶妙なため、鼻白むことがない。エンターテインメントから逸脱することなく、むしろ枠を押し広げていく彼のアプローチは、武者修行したハリウッドの現場や、南カリフォルニア大学での経験が生きているのかもしれない。


 そんな彼が、ドニー・イェンの弟子として知られるアクション監督の谷垣健治を迎え入れ、モーションとエモーションを合致させるために追求したのが、“生身”であることだ。




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