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『るろうに剣心 最終章 The Final』心情描写なくして、アクションは映えず――作品を貫く、“生身の熱”

©和月伸宏/集英社 ©2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning 」製作委員会

『るろうに剣心 最終章 The Final』心情描写なくして、アクションは映えず――作品を貫く、“生身の熱”

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『るろうに剣心 最終章 The Final』あらすじ

かつては“人斬り抜刀斎”として恐れられた緋村剣心だが、新時代の幕開けとともに、斬れない刀=逆刃刀<さかばとう>を持ち穏やかな生活を送っていた。最狂の敵・志々雄真実が企てた日本転覆の計画を阻止するため、かつてない死闘を繰り広げた剣心達は、神谷道場で平和に暮らしていた。しかし、突如何者かによって東京中心部へ相次ぎ攻撃が開始され、剣心とその仲間の命に危険が及ぶ。果たして誰の仕業なのか?何のために?それは、今まで明かされたことの無い剣心の過去に大きく関係し、決して消えることのない十字傷の謎へとつながっていく。そして、これまで語られることのなかった<十字傷>の謎に迫る「るろうに剣心 最終章 The Beginning」へ続いていく。動乱の幕末期と明治維新後の新時代の2つの時代を通して描く!2つの作品を通して描かれる「るろうに剣心」史上最高のクライマックス。「るろうに剣心」のすべてがここにある――。


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『るろうに剣心』の根幹にかかわるエピソード



 2012年に始まった実写映画『るろうに剣心』シリーズが、第4作『るろうに剣心 最終章 The Final』(2021年4月23日公開)/第5作『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(2021年6月4日公開)をもって、遂にフィナーレを迎える。撮影期間から最終作公開まで、実に10年に及ぶ壮大なプロジェクトだ。原作漫画「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」が週刊少年ジャンプにて連載をスタートしたのは、1994年。誕生から30年弱の歩みを経ても、いまだ人気が衰えないコンテンツ力には改めて驚かされる。


 ちなみに、実写映画の時系列は


第5作『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(21)

第1作『るろうに剣心』(12)

第2作『るろうに剣心 京都大火編』(14)

第3作『るろうに剣心 伝説の最期編』(14)

第4作『るろうに剣心 最終章 The Final』(21)


となっており、4月23日に公開を迎えた『るろうに剣心 最終章 The Final』では、時系列的には最後の物語が描かれる。本作では、「不殺(ころさず)」の誓いを立てた伝説の人斬り・緋村剣心/緋村抜刀斎(佐藤健)がかつて斬殺した妻・雪代巴(有村架純)の弟・縁(新田真剣佑)と壮絶な“私闘”を繰り広げる。6月4日に公開される『るろうに剣心 最終章 The Beginning』では、剣心が討幕派に加わり、暗殺者として覚醒していく姿が描かれ、巴との出会いから彼女を斬殺するに至るまでの顛末が明かされる。


『るろうに剣心 最終章 The Final』予告


 縁との対決を“私闘”と述べたが、日本の未来を護るため、「国盗り」を掲げる志々雄真実(藤原竜也)と対決した第2・3作とは真逆の、私怨から生まれた争い――いわばミニマムな戦いであることが特徴だ。とはいえ、スケールが小さくなるということではなく、十字傷に秘められた哀しい過去を含め、これまでにない剣心の“闇”の部分に踏み込んだ内容となる。なぜ剣心は、人斬りとなったのか? どうして妻を殺さねばならなかったのか? 十字傷が消えない理由は? このような“真実”が次々に判明し、剣心が「不殺」を胸に刻んだその胸の内が開示されてゆくのだ。


 そういった意味では、今回実写映画化されたのは、ドラマ性が非常に高いエピソード。原作では第4作の内容が「人誅編」、第5作の内容が「追憶編」と呼ばれており、いまなお圧倒的な人気を誇る。主演の佐藤健が、『るろうに剣心 最終章 The Beginning』に際して「剣心のこのエピソードをお客さんに知ってもらって初めて『るろうに剣心』が完結します」と語る通り、作品の根幹にかかわる物語であり、全体のテーマを色濃く反映した内容だ。




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