2021.04.30
去る者と残る者の対比が、青春の本質をあぶり出す
ただし、社会という枠組みから抜け出すインモラルな行為をお手軽に描いているわけではない。劇中では、「もう悪ふざけには付いていけない」と、幼なじみの仲間たちは一人減り、そして二人減りしていく。コリンは、長距離バスに乗って地元へと帰っていく離脱者の姿を、ある種の虚無感とともに映し出している。そこには確実に取り返しのつかない代償の苦味がある。
かろうじてモラルと理性を保ったはずの彼女らは、まるで敗残者のようである。そして去っていく者たちの寂寥と、残った者たちのやみくもなパワーの対比にこそ本作の真髄があると思っている。
本作で描かれている出来事は、過剰にカリカチュアされたバカ騒ぎかも知れない。しかし青春映画とは、常に「いつか終わりがやってくる」という諦念と隣り合わせのジャンルである。スプリング・ブレイクから離脱した者たちは、いわば青春のうねりから振り落とされ、平凡な日常に戻っていくしかない。その別れににじむ一抹の痛みには、誰もが感じたことがあるセンチメンタリズムが宿ってはいないだろうか。
『スプリング・ブレイカーズ』(c)Photofest / Getty Images
そしてビーチに残った者たちは、まるで暴走列車のごとく邪悪な道をひた走る現実から少しでも遠くに逃げ続ければ、いつか楽園にたどり着けると信じているかのように。だが極悪アウトローと化していく彼女たちが、ただの無謀なバカというのとは違う。忍び寄る現実に気づかないわけでも、悪行三昧に救いがあると信じているわけでもないと類推できる仕掛けが、映画の中に仕込まれているからだ。
劇中でジェームズ・フランコのピアノの弾き語りで歌われる、ブリトニー・スピアーズの2004年のシングルヒット曲「Everytime」である。