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『スプリング・ブレイカーズ』ハーモニー・コリンが確信犯的に描く“現実逃避の終焉“

(c)Photofest / Getty Images

『スプリング・ブレイカーズ』ハーモニー・コリンが確信犯的に描く“現実逃避の終焉“

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日常に逆らい続けて行き着く先とは?



 しかしフランコ扮するエイリアンは、ブリトニーを「もし地上に天使がいるなら彼女だ」と前置きして「Everytime」を歌い始める。そして夕暮れの中、三人の女子大生たち(すでに一人は脱落している)も唱和して、黄昏のひとときを共有する。マジックアワーの幻想的な光が彼女たちを包み込む、この映画の中でもとりわけ美しい瞬間だ。


 つまり『スプリング・ブレイカーズ』の女子大生ビッチたちは、たとえ有名なセレブになって世界中からチヤホヤされたとしても、そこには楽園など存在しないことを最初からわかっている。彼女たちが愛しているのは、夢のような世界に住む幸福なセレブではない。むしろ深く傷つき、暗い闇をさらけ出しているブリトニーなのだと考えるべきではないだろうか。


 彼女たちは究極のパーティーを体験しようとしているが、その先には行き止まりしかないのは百も承知。にもかかわらず、彼女たちは一線を超えてもバカげた悪ふざけをやめようとはしない。待ち受けているのが破滅だとしても、もう退屈な停滞の中では生きられないからだ。


 最後に残された二人の女子大生は、かつての親友たちがバスで地元へと戻っていた方角とは反対方向にスポーツカーを走らせる。二人の顔はもはや浮かれてはいない。それがスプリング・ブレイク=青春の終わりを示しているのか、このままどこまでも突き進むという決意の表情なのか。それはこの映画を観た人がそれぞれに決めることだろう。


『ビーチ・バム まじめに不真面目』予告


 ちなみに『スプリング・ブレイカーズ』を経たハーモニー・コリンは、次回作でも「現実からの逃避」というテーマに再び取り組んでいる。それが過激よりも弛緩へと向かうもうひとつのパーティームービー『ビーチ・バム まじめに不真面目』(19)であり、まるで性格の違う双子のような作品になっているので、ぜひ観比べていただきたい。


 最後にもうひとつ。2016年に映画化された小説「アズミハルコは行方不明」で、作者の山内マリコは田舎の少女たちが現実に抗い突破する象徴として『スプリング・ブレイカーズ』を登場させていた(映画版ではオリジナルのアニメに替えられている)。このデタラメで闇雲で切実な、セックスと暴力が氾濫する異形の青春ファンタジーに希望を見出したという点で、筆者は山内マリコという人にとても共感する。



文:村山章

1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。



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