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『悲しみよこんにちは』意図せず重なってしまう、ジーン・セバーグとフランソワーズ・サガンの人生

(c)Photofest / Getty Images

『悲しみよこんにちは』意図せず重なってしまう、ジーン・セバーグとフランソワーズ・サガンの人生

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感情の移動



 エリック・ロメールは『悲しみよこんにちは』について、「偉大な映画作家たちが我々に天才の基準を示す感情の移動のひとつの典型」と記している。『悲しみよこんにちは』のジーン・セバーグは、一つ一つの動きがとてつもなく早い。白黒のシーンでキレキレのダンスを披露するセシルのスピードは、そのままカラーのシーンで感情の移動として爆発的なスピードを速めていく。(本作では白黒のシーンが現代という設定)


 プレイボーイの父親のことが大好きなセシル。父親の恋人エルザとの共犯的で愉快な関係。海で出会った青年との一瞬の恋。そしてライバル視することになる年上の落ち着いた女性アンヌ(デボラ・カー)との関係。別荘というフランソワーズ・サガン的な風景を舞台に、セシルがどのように素早く動いていくかということが、感情の移動という意味で、演出の大きな柱となっている。



『悲しみよこんにちは』(c)Photofest / Getty Images


 セシルは、青年やエルザ、アンヌ、父親に対して、身と心の距離をすぐに近づけ、すぐに離れていく。父親とアンヌを別れさせる作戦を真っ白なボードに書く無邪気なゲーム感覚でもって、セシルはそれを遂行していく。セシルは、それぞれの感情をクローズアップさせ、自らがクローズアップさせてしまった他人の感情に対して、いとも簡単に離れていく。無責任なまでのスピード感。


 つまり、目まぐるしく動くセシルの動線は、単なる身体的な動線ではなく、次々と感情を移動させていく動線でもあるのだ。また、このスピード感は、10代の若さの爆発とは似て非なるものである。このスピード感が、セシルという少女特有のものであることを証明するかのように、セシルと同世代のエルザが配置されている。誰よりも陽気なエルザはセシルほどフレームの空間を行き交わない。


 セシルは、エルザやアンヌ、父親に近づき、それぞれにないものをクローズアップさせ、誘惑や嫉妬を芽生えさせては、あっという間に消えていく。それは父親レイモンから受け継いだ「ゲームの規則」への、セシルによる新たな解釈ともいえよう。フランソワーズ・サガンの原作でも、父親はセシルに対して誘惑の言葉をかける。「僕のかわいい共犯者。おまえがいなかったら僕はどうなる?」。




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