ロメロ流のホラー演出
『クリープショー』監督のジョージ・A・ロメロは、何と言っても近代モダン・ゾンビの生みの親として伝説的存在である。死から蘇った屍体が人を襲い、肉体を引き裂き屠るダイナミックなスペクタクルは派手なものだが、その一方でロメロの作劇や演出は極めて繊細なものだ。彼の代名詞とも呼べる傑作『ゾンビ』(78)も、ゾンビたちの肉体破壊が目に楽しいが、作品の軸として中央に鎮座するのは生き残ったピーターやフランたちの空虚な生活である。
ショッピングモールにたどりついたピーターら一行は、モール内からゾンビを排除し安全な生活圏を確保すると、有り余る食料で豪華な食事を取り、モール内のゲームセンターやアイススケートリンクで遊び、誰に見せるでもなく戯れに化粧をし、衣類店の洒落た服を着て過ごす。モールの外では、人を襲うゾンビが群れをなしているのにも関わらずにだ。この空虚な状況を、説教じみた台詞で説明せず、淡々としたモンタージュで観せていく。
『ゾンビ』予告
ロメロは『マーティン/呪われた吸血少年』(77)でも、吸血行為に囚われた青年を通して、若者が普遍的に持ってしまう孤独感や虚栄心を描いている。また、『ゾンビ』世界のその後を描いた『死霊のえじき』(85)では、地下倉庫に住む軍人グループと科学者グループの対立を描くことで、国家規模の対立をフラクタルに表している。
どれも、決して声高に主張やテーマを押し出さず、あくまで俳優の微細な演技や物語構造の妙、編集でのモンタージュ効果で、仄かにテーマを炙り出していく。これらはロメロ流の上品な作劇と言えるだろう。
『クリープショー』© 2018 Paramount Pictures.
『クリープショー』ではホラーコミックへのトリビュートということで、イラストやコミック特有の集中線や輪郭のギザギザした吹き出しを派手に多用している。しかし、登場人物にはキング流の奥行きのある背景があり、それらをロメロ流の微かな演出で匂わせ、殺人行為にさえ寂寥さを漂わせる作劇が貫かれている。