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『The Beguiled / ビガイルド 欲望のめざめ』ソフィア・コッポラに着想を与えたイーストウッド主演映画とは?※注!ネタバレ含みます。

『The Beguiled / ビガイルド 欲望のめざめ』ソフィア・コッポラに着想を与えたイーストウッド主演映画とは?※注!ネタバレ含みます。


アフリカン・アメリカンのメイドの不在



 両作を比較する以上、最後にこのことにも触れねばなるまい。原作やシーゲル版ではあったのに、ソフィア版では姿を消しているもの。それがアフリカン・アメリカンのメイドの存在だ。ソフィアはこのキャラクターを描かなかった。ところがこの選択に対して「ホワイトウォッシュだ」という批判が上がり、ソフィアは思わぬ議論の渦中へ放り込まれることとなった。


 その後、彼女はメディアへの寄稿やインタビューへの回答などを通じて自らの意図を説明するに至っている。

 参照)http://www.indiewire.com/2017/07/sofia-coppola-the-beguiled-backlash-response-1201855684/


 ソフィアの言い分を要約すると2点に絞られるように思う。まずは歴史的な正確性。歴史家や当時の女性たちの手記によると、この時代、奴隷たちの中には、戦争の進展に伴い、強制労働から逃れ、縛り付けられた土地から立ち去った者も多かったのだとか。それゆえ、本作の描写は、歴史的に見ても間違いではないという。


 さらにもう一つの理由として、映画の中で奴隷制を軽々しく扱いたくないという思いがあった。例えばトーマス・カリナンの原作小説の中で、このアフリカン・アメリカンのメイドだけが不正確な英語を話す人物として描かれているという。このような描き方をしたくなかったし、そもそも奴隷制をストーリーの副次的な要素として描くのも侮辱的な行為だと感じたソフィア。マッティというキャラクターを描かなかったのは、決して存在の否定などではなく、敬意から生じた選択だった――――とのこと。


 この件を一つ取ってみても、いま映画界が抱える“敏感にならざるをえない問題”の複雑さを思い知らされる。と同時に、私たちはこの件を切り口として、ソフィア・コッポラが見つめたかったものを逆に深くうかがい知ることができるのかもしれない。




 つまり、彼女が描きたかったのは、男たちが戦争に駆り出され、暮らしを支えていた奴隷たちも去り、残された白人女性たちがますます孤立を深めたその状況だった。その、いわば世界から隔絶された場所に、一人の男性が入り込んできた時、いかなる抑圧と欲望の嵐が吹き荒れるのか。それこそが本作の一つの焦点となっているのである。


 機会があればぜひ『ビガイルド』と『白い肌の異常な夜』、さらには原作小説をじっくりと紐解いてみてほしい。それぞれが異なった味わいを秘めていて、いずれも存分に堪能できること請け合いである。それらをじっくり見比べた上で、ソフィアの描き方が適切だったのか、あるいはホワイトウォッシュという指摘そのものがどうなのかについて思いを巡らせてみてほしい。恐らくこれは、映画の作り手のみならず観客も含めて、考え熟させていくべき議論であろう。



文: 牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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作品情報を見る


「The Beguiled/ビガイルド欲望のめざめ」

2018年2月23日(金)TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国公開

©2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.


※2018年3月記事掲載時の情報です。

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