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『アメリカン・ユートピア』デイヴィッド・バーンとスパイク・リーが示唆する“ユートピア”とは?

©2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED

『アメリカン・ユートピア』デイヴィッド・バーンとスパイク・リーが示唆する“ユートピア”とは?

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スパイク・リーとバーンのコラボレーション



 映画の監督はスパイク・リー。バーンとリーの組み合わせを意外に感じた人もいたようだが、80年代のニューヨークのインディペンデント界の映画作りを振り返ると、ふたりの結びつきは必然に思えてくる。


 筆者との取材の時、バーンは「僕やスパイク・リーはジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(85)に刺激を受け、映画作りを始めた」と語っていた。このモノクロ作品は超低予算で製作されたにもかかわらずアイデアとセンスが世界中で評価され、ジャームッシュの活動拠点であるニューヨークはインディペンデント映画の中心地として脚光を浴びた。ジャームッシュの友人で、彼と同じニューヨーク大学出身のリーはこの小さな映画の成功に刺激を受け、モノクロの『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(86)を作って、その才能を評価された。


 また、バーンは『デイヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリー』(86)で監督デビューを飾る。彼はもともと、ミュージック・ビデオを自身で監督していたので、長編への移行も意外ではなかったが、ロック・ミュージシャンで、フィクションの映画を撮っている人は当時としては珍しかった(とても発想が豊かな作品でおもしろかった)。


 バーンは1952年生まれ、スパイク・リーは1957年生まれ。比較的世代が近いので、同じようなニューヨークのカルチャーの空気を青春期に吸収しながら成長してきたはずだ。トーキング・ヘッズは70年代にニューウェイブやパンク系バンドが出演していたニューヨークの伝説のクラブ、CBGBの舞台に立っていたが、なんと、スパイク・リー監督が70年代への思いを描いた『サマー・オブ・サム』(99)にはこのクラブが登場し、ヘッズの代表曲「Psycho Killer」が流れる場面もある(エイドリアン・ブロディがパンクに憧れるミュージシャン役で登場し、CBGBの舞台に立つ)。そんな時代の流れを考えると、バーンとリーの顔合わせは、自然なものに思える(蛇足ながら、両者をつなぐジャームッシュは80年代にヘッズのミュージック・ビデオを撮っている)。



『アメリカン・ユートピア』©2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED


 バーンに聞いた話によると、リーは『ストップ・メイキング・センス』(84)のジョナサン・デミ監督の友人だったという。デミも80年代は『サムシング・ワイルド』(86)や『愛されちゃって、マフィア』(88)のように、80年代はニューヨークを描いたコメディの快作を撮っている(バーンは両作品に音楽を提供)。


 『ストップ・メイキング・センス』では舞台にひとりずつ、バンドのメンバーが登場する構成になっているが、『アメリカン・ユートピア』もミュージシャンが舞台の上で少しずつ増えていく。リーは『ストップ・メイキング・センス』の構成をあえて踏襲してみせたのだろうか?


 また、電球を使ったダンスや影を効果的に使った演出なども『ストップ・メイキング・センス』からの引用に思える。実はデミの他の映画を思わせる場面も登場する。彼は21世紀に入ってから、ニール・ヤングの音楽映画を3本撮っているが、そのうちの1本、『ジャーニーズ』(12、日本ではDVDのみ)ではニールの70年代の有名曲「オハイオ」が演奏される。70年にオハイオのケント州立大学で起きた事件を題材にしたプロテスト・ソングで、ヴェトナム反戦活動をしていた学生たちに州兵が発砲し、そのうち4人の尊い命が失われた。このライヴ映画では犠牲者となった学生4人の写真が大きく映し出され、彼らの名前や生死の年が鮮やかな赤い文字で画面に打ち込まれる。


 『アメリカン・ユートピア』では警官の暴力の犠牲者となった黒人たちの写真が次々に登場して、犠牲者の名前や生死の年が(こちらも)赤文字で入る。もしかするとリーはデミ映画にインスパイアされたのかもしれない。


 また、『アメリカン・ユートピア』の素晴らしい撮影監督エレン・クラスは、リーとは『サマー・オブ・サム』で組んだが、コンサート映画としてはすでにデミ監督の『ニール・ヤング/ハート・オブ・ゴールド~孤独の旅路〜』(06)があり、今回の映画同様、深みのある美しい色彩を見せている。


 『アメリカン・ユートピア』の最後に“スペシャル・サンクス”としてデミの名前も登場するので、個人へのリスペクトを込めながら、リーはこの映画を撮ったのではないだろうか?


 ちなみに今回の振付師、アニー・B・パーソンはデミの『幸せをつかむ歌』(15)にも参加。彼女は近年のバーン作品に欠かせない人材のひとりで、2010年の彼のドキュメンタリー『ライド・ライズ・ロウアー』でも振り付けを担当。バーンがロックとダンスの融合を意識した斬新な舞台が収録されていたが、その発展形が今回の『アメリカン・ユートピア』と考えることもできるだろう。


 『アメリカン・ユートピア』はバーンが以前から知人だったリーに声をかけることで始動したが、監督としての印象をこう語っていた。「彼は常に前進しいて、何か革新的なことをやろうとしている。過去に“Passing Strange”(09)のようなライブショーも撮っているが、こういうライヴものを撮影するには特別なスキルが必要だ。(中略)それに『アメリカン・ユートピア』には社会的な側面や政治的な要素もあったので、彼にふさわしい題材に思えた」(「ミュージック・マガジン」21年5月号より)


 リー自身は初めて舞台を見た時、頭の中に映像が浮かんできたという。上からの俯瞰はバズビー・バークレーのスタイルを意識しているのだろう。照明も凝りに凝っていて、舞台の映像化という以上に映画らしい映画に仕上がっている。


 現代社会に対するメッセージ性も盛り込まれ、そこは『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)や『ブラック・クランズマン』(18)などのリー作品に通じるが、バーンの最良のカットを収めるべく、演出家に徹することで、彼のプロフェッショナリズムが発揮された作品にもなっている。


 リーは公認の評伝本“Spike Lee”(Nortonより06年刊行、スパイク・リー、カリーム・アフタブ著)に収録されたインタビューでこんな発言もしている――「いつかミュージカル作りたい。僕は曲作りをしないから、プリンスやスティーヴィー・ワンダーと組めたらいいね」プリンスはすでに故人。そう考えるとデイヴィッド・バーンが今回の映画でリーの夢をかなえてくれたのかもしれない。




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