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『2046』なぜタク/木村拓哉は列車に乗るのか? ウォン・カーウァイが描く資本主義と時代の不安
恋愛と「かけがえのない相手」の代替可能性
チャウと女性たちの出会いと別れの数々、そしてチャウが書く劇中小説。カーウァイの代表作『恋する惑星』(94)も思わせるオムニバスめいた構成から、チャウの寂しさが浮かび上がってくる。恋すれば恋するほど、チャウはチャン夫人への執着を突きつけられ、同時に恋愛の代替可能性を思い知ることになるからだ。
ヒロインのひとり、バイ・リンは夜の仕事をしている女性で、ひょんなことからチャウと惹かれ合う。しかし、チャウは無意識にチャン夫人の虚像をバイの中に見ていたようだ。タクシーの車内で、チャウはバイの肩に頭を預けるが、後にはバイの姿がチャン夫人に変わっているフラッシュバックも挿入される(もっとも、『花様年華』では夫人がチャンの肩に頭を寄せていたのだが)。バイがチャン夫人と異なったのは、結局のところ彼女がチャンにとってのチャン夫人になりえなかったことだ。最終的に、チャウは自分を愛しているバイを裏切る。
『花様年華』予告
バイが去った後、チャウが思いを寄せるのが支配人の長女・ワンだ。日本人男性(木村拓哉)と恋愛関係にあったワンは、日本人嫌いの父親の目を逃れるため、チャウ経由で恋人とのやり取りを継続する。そんな中、趣味で小説を書いていたワンは、チャウの助手をするようになった。これぞまさしく、『花様年華』でチャン夫人がチャウの執筆を手伝っていたことの反復であり、案の定、チャウはワンに惹かれていく。しかし、その恋も実ることはなかった。
ワンの結婚を聞いた後、チャウが思い返したのは、かつてシンガポールで出会った賭博師の女性。名前はチャン夫人と同じスー・リーチェンだ。愛し合っていたはずの二人が結ばれなかったのは、スーに謎めいた過去があったため、そして、やはりチャウがスーの中にチャン夫人を求めていたため。1969年、チャウは再びシンガポールを訪れるが、二人が再会することはない。
『2046』© 2004 BLOCK 2 PICTURES INC. © 2019 JET TONE CONTENTS INC. ALL RIGHTS RESERVED
チャウは女性たちに好意を抱きながら、チャン夫人の代わりがいないことを知り、同時に、恋愛というもの自体の代替可能性を知る。その最も過酷なケースが、じつは誰よりもチャウを愛していたバイだった。チャウとバイは枕を交わすごとに10ドルを――ちょうどチャウの原稿一本ぶんの金額を――やり取りする。つまり、チャウにとってバイは選択肢のひとつだった、究極的には商品だったということになる。あるいはバイだけでなく、チャウの前に現れた女性たちはみな――かけがえのないチャン夫人でないがために――彼にとっては数ある選択肢のひとつでしかなかったのではないか。
1990年代、香港はアジアを代表する経済都市へと急速な成長を遂げた。思い返せばカーウァイは、とりわけ『恋する惑星』に顕著なように、現代/同時代の社会において、資本主義と恋愛がきわめて密着し、切り離しがたいことを描いてきた作家と言えるだろう。恋愛の可能性が無限に開かれ、あまたの選択肢があり、時にはそこに金銭が介入することさえある。1960年代の香港を舞台とする『2046』には、このような現代資本主義社会における恋愛の代替可能性が反映されている。