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『2046』なぜタク/木村拓哉は列車に乗るのか? ウォン・カーウァイが描く資本主義と時代の不安

© 2004 BLOCK 2 PICTURES INC. © 2019 JET TONE CONTENTS INC. ALL RIGHTS RESERVED

『2046』なぜタク/木村拓哉は列車に乗るのか? ウォン・カーウァイが描く資本主義と時代の不安

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タク(≒チャウ・モウワン)はなぜ列車に乗るのか



 『2046』は『花様年華』よりも1ヶ月早く撮影が始まっていたが、製作は難航し、完成に約5年を要した。しかしながらカーウァイは、もともと香港返還以前に撮影を行い、“時間を経ても変わらないもの、時間とともに変わるもの”を描きたかったのだという。残念ながらその願いは叶わなかった。


 香港返還後、カーウァイは同時代の香港を直接的に描いていない。しかし『2046』では、劇中の小説という形式ながら、返還後の香港の姿が示唆されている。チャンはワンと親しくなった後、ワンの恋人(木村拓哉)をモデルに「2047」を書く。これこそが本作のもうひとつの軸、タクが〈2046〉を離れる列車で移動する物語だ。題名が示すように、この設定は、「五十年不変」の50年というカウントダウンを経て、次なる局面へ進む香港のメタファーとなっている。



『2046』© 2004 BLOCK 2 PICTURES INC. © 2019 JET TONE CONTENTS INC. ALL RIGHTS RESERVED


 小説の主人公であるタクは、〈2046〉を去る列車に乗り、いつまで続くか知れない旅をする。いつしか、執筆者のチャンはタクに自分自身を投影するようになった。それは現実の恋愛に挫折感をおぼえるチャウが、一種の変身願望を小説で叶えるような行為でもあるだろう。ただし、タク(≒チャウ)の恋愛は成就しない。アンドロイド(≒ワン)に彼の気持ちが届くことはないのだ。アンドロイドの感情が遅延するために、二人のコミュニケーションにはどうしても埋められない溝が生じることになる。


 1960年代のチャウが抱える個人的な不安は、この〈2046〉の先を目指すという小説を通じて、1997年以降の香港社会の“未知への不安”と重なってくる。恋人と結婚するワンは、父親を通じて、チャウに「「2047」の結末は悲しすぎる、書き換えてほしい」というメッセージを送ってきたが、チャウの筆は動かなかった。「ハッピーエンドにする方法がわからない」という言葉は、チャウ自身の恋愛や人間関係にも、また香港の未来にもかかっている。


 「彼は振り返らなかった。長い列車に乗り、闇の中を、ぼんやりした未来に向かって走るように……」。映画の最後にはこの言葉が示されるが、チャウは本当に振り返らなかったのだろうか。バイとは別れたものの、チャウは過去への執着を断てないまま、あらゆる可能性のなかで現在をひたすら書き換えながら未来へ進んでいくように見える。タクもまた同様だろうが、異なるところは、どうやらタクが列車を降りたらしいこと。しかしその一方で、いつまでも列車に乗るアンドロイドもまたチャウの一部なのではないか。ラストシーンに再び映し出される大きな空洞は、未来へのトンネルのようにも、人物と都市の不安の象徴のようにも見えてくる。



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