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『パリの灯は遠く』ジョゼフ・ロージー監督が投影した、歴史と記憶のかすかな連鎖

(c)Photofest / Getty Images

『パリの灯は遠く』ジョゼフ・ロージー監督が投影した、歴史と記憶のかすかな連鎖

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ロージーの体験したハリウッドの「赤狩り」



 いつの間にか自分が排除されていく恐怖と、周囲の人々の無関心。ここで描かれるのは、監督のジョセフ・ロージー自身が体験したできごとでもある。1950年代、冷戦真っ只中のアメリカでは、共産主義者をことごとく排除するための運動、いわゆる「赤狩り」旋風が吹き荒れ、多くの犠牲者が生み出された。その犠牲者の一人がロージーだった。1930年代、ニューヨークの演劇界でキャリアをスタートさせた彼は、やがてハリウッドに拠点を移し『緑色の髪の少年』(48)、『M』(51)など次々監督作を手がけるが、『拳銃を売る男』(52)撮影中に非米活動委員会で名前を挙げられる。ジョセフ・ロージーの名前はブラックリストに記載され、事実上ハリウッドを追放されてしまう。


 アメリカでの仕事を失った彼はイギリスに亡命。だがブラックリストはイギリスでも大きな効力を持ち、ロージーは当初偽名を使っての活動を余儀なくされた。それでも着々と活動を続けるうち、イギリスの映画監督として着実にキャリアを築き、1967年に『できごと』でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞。1970年には『』で同映画祭パルム・ドールを受賞。ジョセフ・ロージーの名は世界的な巨匠として認められていく。


『恋』予告


 もともと『パリの灯は遠く』は、政治的題材を得意とするコスタ=ガヴラスが監督する予定で企画されていた。脚本は、ガヴラスの『戒厳令』(72)やジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』(66)を手がけたイタリア出身のフランコ・ソリナス。ガヴラスの代わりに監督を引き受けたロージーはソリナスと一緒に脚本を完成させていくが、物語の概要は、監督の打診が来た時点で既にできあがっていたという。


 ロージーが、自らの赤狩りの記憶をこの映画に反映させたとは言いきれない。とはいえ、占領下のパリを覆う時代の空気が1952年当時のアメリカのそれとよく似ていたことは、彼自身も認めている。一度ブラックリストに入れられると何が起こるのか。恐怖によって支配された場所で人間はどのように振る舞うのか。その答えを、彼は誰よりも知っていた。





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