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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』ブラック・ウッドストックと呼ばれた伝説のフェスが伝えるもの
サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)
2021.08.26
ヒッピー、戦争、暴動、人種や貧困問題…激震の1969年
まず、1969年のアメリカが、どんな空気に包まれていたかを知っておきたい。自由の気運が高まり、若者の間でヒッピーカルチャーが広がっていた時代。それはベトナム戦争の泥沼化が引き起こした反戦の気運に連動し、反体制運動にも発展。また、当時の体制は白人のものであり、黒人が社会的に虐げられていた。これに反抗する公民権運動が盛り上がり、1968年にそのカリスマ的な指導者であったマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたことで、平和的に行なわれていた運動は一気に怒りに満ちたものとなっていく。リベラルな大統領候補として、民衆の期待を集めたロバート・ケネディが暗殺されたのもこの年だ。
貧困にあえぐ黒人の街では暴動が頻発、ハーレムも例外ではなかった。貧困対策をおざなりにしたまま、巨額の予算を投じて成功させたアポロ11号の月面着陸も、貧しさにあえぐ人々には偉業には見えず、彼らの怒りの火に油を注いでいた。そんな状況下で、HCFは開催された。
『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』© 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
主催者のトニー・ローレンスは当時の人気タレントで、キング牧師の没後一周年に合わせて、このコンサートを企画。リベラルな白人としてハーレムでも愛されていた、NY市長ジョン・リンゼイの後ろ盾を得て実現する。市警の警官が警備に当たることになったが、当時は白人警官が黒人に暴力を振るうことは日常茶飯事だった。熱狂してハメをハズしたオーディエンスに、治安維持の名目で警官が暴力を振るわないとは限らない。そのため、ローレンスは人種運動の急先鋒だったブラックパンサー党に、オーディエンスの警護を依頼する。
ブラックパンサー党は当時、体制側から、しばし過激派グループと見られることもあった。結成当初は銃で武装し、暴力には暴力に対抗する姿勢を打ち出したのがその一因。思想的にも共産主義の影響を受けており、資本主義を積極的に進める白人の権力者には脅威でもあった。